腹黒元副盟主のわななき

黒い砂漠デネブ鯖『アークエンジェル』、リネレボフリンテッサ鯖「xxxMZRxxx」血盟所属の腹黒い事務員カタリナのリネとは無関係の駄文集

【白と小豆色のにくいアイツ】80年代生まれの思い出シリーズ①

先日xxxMZRxxx血盟内部で行われた第1回チキチキわななきアンケート」の結果、見事「今後読みたいわななき」部門1位を取ったうちの父(キチガイ

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幾度となく「わななき」に登場して、そのたびに私の心に引っかき傷を付けていく彼は、どうやら「わななき」という閉鎖空間では大人気のようです。ガッデム!

登場回数もさることながら、彼の言動によって苦しめられる私の姿を読者様がほくそ笑んでいるだけなのかもしれませんが、それが人気の一因となっているのは否定できません。

ネタという意味では確かに彼を登場させるのはやぶさかではありませんが、書く度にこの数十年間で彼が私にしでかしてきた仕打ちの数々が思い出され、ちょっとしたトラウマ探訪になってしまうのが玉に瑕。

ここはゲームの話と絡めて、ディープなトラウマを思い出さないようにしながら書くのが私の心の平安に必要と判断いたしまして、以下を書かせていただきます。それではどうぞ。

 

***

 

それは何の予告もなく我が家にやって来た。

1988年のある日。私が学校から帰宅すると、居間のこたつの上に燦然と輝く、白と小豆色で構成された筐体が置いてあった。見まごう事なきファミリーコンピュータが我が家の居間に鎮座しておられた。

ついに我が家にもファミコンが来た!幼い私の胸の高鳴りは、初めて薄い本を読んだ時のそれよりも大きかったかもしれない。

katharinars3.hatenablog.com

 ***

少しさかのぼって、1987年の春の事だ。

当時私は5歳。自我にも目覚め、じゃじゃ丸ピッコロポロリでおなじみの「にこにこぷん」にも飽きてきて、補助輪付きとはいえ自転車にも乗れるようになり、幼稚園から帰ってくると祖父の買ってくれた「キャンディキャンディ」の絵柄のキッズ自転車 に跨り家の近所を爆走するのが日課となっていた。

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(図1 キッズ自転車)

それまでは、お向かいに住んでいるともみちゃんという一つ年上の女の子と遊ぶのが専らだったのだけれど、その年からともみちゃんは小学校に通っているため幼稚園生とは帰宅時間に差があったのも原因し、自転車に乗るようになってからは一人で近所を冒険するようになっていた。祖母曰く、片手でハーモニカを演奏しながら自転車で爆走する少々頭のおかしい娘だったらしい。

 

それまで家の近所(といっても、たかが半径100mほどの範囲)の景色しか知らなかった私がどういう心境に至ったのかは覚えていないけど、ある日家から200mほど離れたところまで大冒険したことがあった。

そこは30m四方ほどの空き地になっていて、東側の隅っこに高々と盛り土がされていた。多分高さ4m~5mくらい盛られていたと思う。そこはおそらく近隣の道路舗装工事現場の残土を置きっぱなしにされた場所なのだけれど、杜撰な業者だったのか特に立ち入り禁止措置が取られているわけでもなく、近所の子供たちが自由に遊べるようになってしまっていた。

危機回避能力のない幼児から見たら「大きい砂場」を発見したような興奮があり、私はすぐにその土山の頂に駆け登った。5mの高さから見る景色は5歳児には新鮮で、普段見上げている2階建ての家屋のバルコニーに目線があることにものすごい高揚感を覚えた。

ひとしきり高所からの風景を堪能し、ふと足元を見ると二人の男の子がこちらを見ていることに気が付いた。見たことない顔だ。どうやらこの辺りに住んでいる子供らしい。

「君はだあれ?」

ともっともな問いかけに

『わたし、りな!』

と警戒心皆無に名乗る私。

二人はそれぞれサトル、マサトと名乗った。この盛り土がある空き地の裏手にある家に住んでいるらしい。幼稚園が違ったので家から200mほどの近所にこんな子供がいることすら知らなかった。

「ねぇねぇりなちゃんはファミコンできる?」

はみこん?ってなに?』

そう、そのころ私はファミコンどころか、この世にゲーム機なんてものがあることすら知らなかった。

通っていた幼稚園は市内でも有名な私立幼稚園で、園児の大半はお坊ちゃまお嬢ちゃま。なんで下流家庭の我が家の子供たちがそんなところに通っていたのか未だに疑問なのだけれど、お上品な連中とはあまり馬が合わなくて友達が少なかった私。彼らの口からファミコンなんて言葉を聞いたこともなかったし、うちの両親もゲーム機なんて買い与える気はさらさらなかったらしい。

 

「え、ファミコン知らないの?じゃあ、うち来る?カセットいっぱいあるよ!」

『かせっと??わかんないけどたのしいならいく』

アホ丸出しでホイホイと鼻たれ小僧たちのナンパについていく私。もう少し警戒心なかったのだろうか。

その日はサトル君のお宅にお邪魔して、2階にある子供部屋で初めてファミコンというものを触った。ソフトはスーパーマリオブラザーズ」「影の伝説」「アトランチスの謎とかだったと思う。

もうね、狂ったように同じ場所で死にまくったし、死ねば悲鳴は上げるし、ジャンプすれば一緒に自分のカラダも動くしで、わたしは完全にファミコンのもたらす興奮の坩堝にはまっていた。

17時になり帰宅したあとも頭の中はファミコンのことでいっぱい。どうしてうちにはファミコンがないのか、なぜ買ってくれないのかと仕事から帰宅した両親に問いただした。

この頃の記憶なんてかなりあいまいになっているけど、それまで私は両親にわがままを言ったことがなかったらしい。「あれほしー、これほしー」なんてただの一度も言ったことがなかったというのだ。

おそらく初孫がうれしくて甘やかしまくっていた祖父がこっそり何かを買い与えていたため、わがままを言う必要がなかったのだと思う。

祖父は左官職人で、このころの左官職人は平均してひと月50~100万くらい稼いでいたらしいので祖父だけはお金に困っていなかった様子。そんな、両親には全くおねだりしなかったリナが初めて両親におねだりしたのがファミコンだった。

ところが、うちの両親はご存知の通りキチガイ、やんわりいうと少々頭のおかしい人たちなので、定価12000円もするおもちゃを娘に買い与えることは情操教育によくないとのことでキテレツ大却下

テレビを見ることだって目に悪いのに、それ以上に画面を見続けるゲーム機なぞもってのほか。TVゲームなんてしていたらアホになる、と祖父母にも「ファミコンだけは買い与えるな」と厳命し、幼いリナは絶望に沈む。初めてのわがままが通らず、その夜は枕を涙で濡らしつつ、ファミコンを買ってくれない両親を呪ったのを覚えている。

 

翌日から私は毎日サトル君、マサト君と遊ぶようになる。

彼らはひとつ年下で、通っていた幼稚園も違うけど、ファミコンをやるためだけに毎日彼らの家のインターホンを鳴らすのが日課となっていた。毎日毎日、ソフトをとっかえひっかえしながら、同じ場所で死に、同じ場所であきらめ、違うソフトに移行し、それもまた同じ場所で死に…を繰り返し、結局クリアしたゲームなんてひとつもなかったけど、二つしかないコントローラーを3人で回しっこしながら遊んだ。本当に楽しかった。

あとで知ったのだけれど、当時ファミコンで遊んでいる女の子はとても稀少だったらしく、小学校に入学後、クラスでファミコンで遊んでいたのは私のほかは二人だけだった。アクションゲームがラインナップの大半を占める当時のファミコンは、女の子が参入するには少し敷居が高かったのかもしれない。

それでも私は狂ったようにファミコンで遊び、すっかりゲーマーの素養を身に着けてしまっていた。

ファミコンの呪いにかかった私が、その年のクリスマスサンタクロースに向けて初めて書いたお手紙はふぁみこんがほしいです

サンタ、いやさ両親も「ここまで欲しがっているなら、いっちょ買ってやるか」とか思ってくれればいいのだけれど、クリスマス当日の朝、私の枕元に置いてあったのは「マンガでわかる星座と宇宙の本(対象年齢小学4年生)」

もうね、あまりの仕打ちにサンタまで呪った。会ったことのないサンタでさえ両親に厳命されているのか、と。どうせほしいものをくれないのならば、プレゼントなんて配るな、と。結局その星座の本は小学校に入学前に意味も分からず読破したけど、6歳児にこれを読ませようとするうちの両親の考えは未だにわからない。狂っていやがる。彼らは私を何者にプロデュースしたかったんだろう

両親にもサンタにも裏切られて、ますますファミコンキチガイになった私は、小学校に入学後もクラスの男子たちの家に足しげく通い、日々ゲーム三昧の生活を送った。チャレンジャー、パックマンエレベーターアクションゼビウスがんばれゴエモン沙羅曼蛇グラディウス、大魔司教ガリウス、迷宮組曲聖闘士星矢仮面ライダー倶楽部、ロックマンなどなど遊んだソフトは枚挙にいとまがない。ほとんど男の子趣味のゲームばかりだけど。今思えば、このころから既に性別が迷子になっていたのかもしれない…と思わせるくらい、男の子の家で毎日遊んでいたリナ。

両親も、男の子の家にしか遊びいかない我が娘を心配していたからね。男の子とばかり遊ぶくらいなら、まだ自宅で遊んでいるほうがいいかもしれない、と思ったのかもしれない。

そして、話は冒頭に戻る。

 

***

1988年の春。私が学校から帰宅すると、居間のこたつの上に燦然と輝く、白と小豆色で構成された筐体が置いてあった。見まごう事なきファミリーコンピュータが我が家の居間に鎮座しておられた。ついに我が家にもファミコンが来た!幼い私の胸の高鳴りは、初めて薄い本を読んだ時のそれよりも大きかったかもしれない。

 

綺羅星のごとく我が家に降臨したファミコン

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(図2 白と小豆色のにくいアイツ)

どうやら父方の叔母の家で買ったものを父がもらい受けてきたらしい。というのも、叔母の旦那様は新しい物好きで新商品にはすぐに手を出す困った性分の人なのだが、同時に熱しやすく冷めやすい特性を備えていた。

会社の同僚がファミコンにはまっているのを知るや否や、叔母に相談もなくファミコン本体と数本のカセットを購入してきて遊んでみたはいいものの、数週間で飽きてしまい、娘二人も興味がないと宣ったらしく、ほぼ新品のファミコンはすぐにTVから取り外され押入れにしまわれるという不遇の扱いをされたというのだ。

挙句の果てに、掃除の際邪魔だから捨てるなり人にくれてやるなりどうにかしろ、と叔母の怒りを買い、ファミコンを切望していた姪の家にやってくることとなった。

子供のわたしからすれば、掃除の邪魔とか数週間で飽きるとか、どちらにしてもファミコンを手放すなんてアタマおかしいと思っていたのだけれど、そういう経緯で、兎にも角にも我が家にやって来たファミコン

さっそく父に接続してもらい、叔母が本体と一緒に持ってきた数本のソフトを遊んでみることにした。

トランスフォーマー-コンボイの謎-

たけしの挑戦状

スターフォース

「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険

・・・・・・はぁ? 

   

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(図3)叔母から与えられたソフトたち

もうね、これらのタイトルを見てピンと来た人がたくさんいると思うけど、スターフォース以外はクソゲー界に綺羅星の如く燦然とその名を轟かせる迷作たちだからね。こんなソフトしか持ってなかったら叔父もクリア不可で飽きるのは頷ける。

コンボイの謎なんて、始まって2秒で死ぬからね。

しかもマリオのように「最初のクリボーにやられて死ぬ」という目に見える死に方じゃなく、よく目を凝らさないと見えない流れ弾に当たって爆死する(白い弾丸が白い背景の山脈に同化してあたかも自然に爆発したように見える)、という何とも不親切な、全国のプレイヤーを恐怖のズンドコに陥れるやり方。ゲームクリアどころか、ファミコン慣れしていないとステージ1のクリアすら危うい。実際叔父は1面すらクリアできずにそっとソフトを箱にしまったという。

たけしの挑戦状は言わずもがな、くそゲーの元祖、くそゲー界のキングオブキングスだけれど、このゲームを叔父はずっとプレイしたらしい。たしかに、トランスフォーマーほどの理不尽さはない。一応ボタンを連打すればある程度は敵を倒すこともできるし、各所にちりばめられた隠し要素でプレイするたびに新たな発見があるので、暇つぶしにはもってこいだったはずだ。

社長を殴ったり、オカンにホウキで撲殺されたり、スナックで歌ったり、パチンコで「でねーぞー」と叫ぶと怖いお兄さんが大挙して押し寄せて殴殺されたり、道行く警察官に素手で殴りかかって返り討ちになったり…もうコントの世界をファミコンの世界で体現したような作品で、叔父さん世代には大うけだったに違いない。

残念なことに、肝心のクリアまでの道のりに隠し要素が必要だったため、ゲームクリアなんて夢のまた夢だったのだけれど。

 

ちなみにこの中から私が最初にプレイしたのはスーパーモンキー大冒険だった。

このゲーム、始まりからしてクリアさせる気があるのか謎。パソコンのブルーバックのような画面に表示される

「ながいたびが はじまる..」

だからね。 

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(図4 ながいたびがはじまる)

実際プレイしてみると、どこからどう見ても容量不足になる要因はないのに何故かプレイステーションのロード時間を匂わせるロード画面があるからね。

で、ゲーム開始時降り立つのは中国の話のはずなのに何故か孤島。多分台湾なんだろうけど、街もなければ人も居ない。エンカウントもしないので完全な無人。アホほど時間をかけて孤島を一周しても何も起こらない。

ただただ時間とともに水と食料のゲージがモリモリ減っていく(おそらく生命線とおもわれる)のを眺めるだけ。

こんなの何の説明もなしに子供にやらせたら5分と持たずに本体ごとカセットを2階から投げ捨てられてもおかしくないレベルの出来。

ちなみに、初日私がプレイしたときは何とか大陸までのワープ地点を発見し、豚と河童を仲間にするところまではいったのだけれど、水と食料が切れて死んじゃった

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(図5 ああ、しんじゃった!)

そもそも当時のファミコンカセットにはバックアップメモリなんてものは搭載されていなかったので、リセットしたら最初からやり直し。

途中で立ち寄った都で意味も分からず表示される「ABABAB」等のパスワードと思われるコマンドをタイトル画面で入力しないとコンティニューできないマゾ仕様だったために、2週間くらい頑張ったけど力尽きてクリアは断念。

クリアしたのは時が流れて高校生の時だったからね。T君の部屋でクソゲー品評会したときに。ところが、このゲームで唯一といっていいくらい認められるのがフィールドでながれる中華風のBGM。この曲だけはずっと聴いていても飽きない。途中からBGM聴くためだけにゲームしてたからね。アタマおかしい。大人になった今でも聴けるくらいだから、なんならいっそ現代風にアレンジしてニコニコに上げてもいいくらいだ(フラグ)。

と、叔母から譲り受けたソフトたちはまぁクソゲーマゾゲーのオンパレードで、2歳の弟なんてつまらなくて泣いちゃってた。

流石に、うちの気狂いした父上も、自分の妹(叔母)によってもたらされたものが、まったく娘のお気に召さないものだったと気付いたのか、ほどなくして我が家にも新しいソフトがもたらされた

新しいといっても買ってきたのではなく、会社の同僚から半ば強引に奪ってきたものらしいのだけれど。

時空勇伝デビアス…。

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(図6 父親が強奪してきたソフト)

これも知る人ぞ知るクソゲーだ。一応ジャンルとしては横スクロール型のアクションロールプレイング。リンクの冒険に近いものだと思っていただければイメージしやすいかと思う。これがまた、中古ソフトとしては破格の不親切パレード

このゲーム、動くものは全て当たり判定があるのだけれど、主人公が最初に召喚される城下町を歩く町人ですら叩きことができる

で、町人を叩き斬った状態で王様の所へ行くと城を追い出されて詰む

事実上のゲームオーバー。初見殺しもいいところだ。

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(図7とっとと、たちされ!)

私も何回か町人をして詰んでリセットを数回繰り返してからこのシステムに気が付いた。気が付いたころにはすっかりやる気をなくして、同じくT君の部屋で品評会に出品されるまで押入れに眠ることになる。

そういう訳で、まともなソフトを手に入れること敵わず、結局私はサトル君や同級生たちからカセットを借りたりしながらファミコンライフを送る。

***

ところが、11月のわたしの誕生日、ついに気の狂ったわが父上も娘に新品のソフトを買ってくる。

スーパーマリオブラザーズ3…。言わずと知れたマリオシリーズの最新作(1988年10月23日発売)で、発売からわずか2週間しかたっていない正真正銘の新品だ。

もうね、この時ばかりは狂喜乱舞してた。狂ったようにプレイしたね。で、さらに僥倖だったのは父上もマリオ3に、いやさファミコンにドはまりしたことだった。

マリオ3なんか私が行き詰った箇所もうちのオヤジがクリアしてたりしていたからね。休日なんて父と娘が一日中TVの前にかじりついてマリオ3をプレイしていて母君なんてちょっと寂しそうにしていたくらいだ。

私が遊んでいなくたって、時間があれば父上は一人でもマリオ3で遊んでいた。自分なりの攻略法をまとめ、娘に伝授。ついにマリオ3をクリアした時も、父上と二人で力を合わせてのクリアだったから、この時は親子の絆を感じたね。この時だけは。

そんなファミコンにハマったうちの父上はその後も自分のためだけにソフトを買ってくるようになった。「4人打ち麻雀」「井出洋介名人の実戦麻雀など麻雀ゲームばかり。井出洋介のやつに至っては専用コントローラー付きの本格派。ひどいときなんか娘をファミコンに一切触れさせずに一日中麻雀ゲームしてたからこの人はやっぱりキチガイだと思う。そういえば我が家で初めてエンディング画面を見たのは井出洋介のやつだし。しかも年端もいかない我が娘に、プレイしながら解説を入れて麻雀の知識を詰め込もうとする父の姿は傍から見たら完全にアタマおかしい。それに文句ひとつ言わずに麻雀し始める私も大概狂っていると思う。

いつか書いたことがあると思うけど、私も父親も一度ハマってしまったら腰までドップリとハマり続ける性分。

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この後も親子二人してゲームの世界にズブズブにハマってしまい、私は未だにゲーム好きの袋小路から抜け出せずにいるし、父親はというと最近はリアル農園ゲーム(家庭菜園)にどっぷりハマっている。

更なるゲームのお話は次回に持ち越すこととするけど、これだけは言いたい。

 

うちのオヤジはってる。これは間違いない

 

【脳に仕掛ける時限爆弾(後編)】

 

(前回までのあらすじ)

呪い少女リナ爆誕。誰を呪ったかは秘密。成就したかも言えない。
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 ***

大学3年の夏のことだ。S教授(師匠)の前期の講義は最終日を迎え、わたしはレポート提出も済ませ名残りを惜しみつつも大講義室を出ようとしたその時だった。

「リナさん、リナさん」

と師匠に呼び止められた。何か私の提出したレポートに不備でもあったのか、それとも余りに熱心に呪いについて学ぼうとする姿勢が師匠の心をとらえてしまい40の歳の差なんて、と手籠めにされるのか。

全然違った。

「いつも熱心に聞いてくれていたので、リナさんに特別に宿題をあげます!」

え…。いや、要らない

『何をやらせる気ですか…(帰ってFF11したい)』

「リナさんは千葉県にお住まいだと聞きました。」…教えたのはM教授だな…。

「千葉県で誕生した有名なお坊さんがいるのですけど…ご存知ですよね」

『お坊さん…あ、日蓮ですか』

「そうです、そうです。で、ちょっと私の研究のお手伝いってことでフィールドワークしてきてほしいんですけど」

はぁ?(;°Д°)』この人、何言ってるんだろう。

 ***

日蓮の名前を知らない日本人なんていないと思うけど、日蓮宗の起源法華宗を興した人物だ。中学高校の歴史の教科書には「立正安国論」「法華経」「南無妙法蓮華経」くらいしか載っていなかったのではないだろうか。

果たして教科書に載っていない部分についてどこまで知られているのかは謎だ。日蓮宗は現代においても「新興宗教」の基となる一大宗派。

 

安房国長狭郡東条郷の片海(千葉県鴨川市)に漁師の家の子として生まれた日蓮は12歳で寺に入り16歳で出家して比叡山延暦寺にて天台宗に学び、32歳の時に立教したと伝えられている。

千葉県出身だけあって、県内くまなく法華宗の寺が多い。我が実家のお墓も、旦那様のお墓も日蓮宗系のお寺にある。で、紛糾する前に謝っておくと、熱心な日蓮宗系宗教の信者さんたちには本当に申し訳ないのだけど、この日蓮という人は当時で考えるとすさまじくエキセントリック(後述)な人物だったらしい。なにせ、鎌倉仏教と呼ばれるほかの仏教宗派を片っ端から否定して歩く。

法華経以外は本物ではない、念仏(南無阿弥陀仏)唱えるだけで極楽浄土に行けるなんて教えは外道もいいところだ、と。浄土宗徒は特に激しく非難された法然に恨みでもあったのだろうか。当然のことながらその過激な思想は、他宗派や権力者からは非難をされ続け、迫害され、度も流刑になるほど目の敵にされていたらしい。

で、この民俗学者の依頼内容は「日蓮宗徒に、あるいは日蓮宗に習合する権力者よって強制改宗させられたという言い伝えが千葉県には多く残っているらしい。民話レベルで構わないので探してこい」という法然真っ青の内容だった。

これによって私が得るものなんて何一つないのだけれど、どうやら私は違う意味で師匠に見初められたらしく、熱心に民俗学を勉強する猛者だと思われたらしい。

夏休みはサークルの夏合宿があったりするからそんな雑事にかまけている暇はない、と言いたかったのだけれど、民俗学そのものは好物だし普段全く気にしていなかった郷里で鎌倉時代に触れることができるなら面白いかも、と止せばいいのに快諾してしまった。

二つ返事で快諾したのはいいが、帰宅してから問題が一つあることに私は気付いた。

この頃、我がS13シルビアKPSは峠の狼となり果てたわたしの手により荼毘に付されており、次の愛車購入のための資金を貯めている状況だった為、外房の田舎を走り回るための足が必要とされていた。自分の車を持っている友人は地元にも何人かいたのだけれど、ただドライブに行くのではなくて、日蓮宗徒により強制改宗させられた民話を探しに行く旅」に付き合ってくれるという条件に当てはまる人物はひとりしか心当たりがなかった。

 ***

「へぇ、つまり元々あった土着の宗教、あるいはその土地で信仰されていた仏教宗派が日蓮宗に改宗させられたという事実があったかをまずどこかで見つけないといけないわけだ」

と、いかにも「不味い」という言う顔でマルボロ紫煙を吐き出してからT君が私の話した内容を要約した。

ウルティマオンラインの一件の後、ネット上でもリアルでもわたしはT君に相談事を持ち掛けることが多くなっていた。
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大学1,2年目は埼玉で暮らしていたため、盆暮れ正月くらいしか顔を合わせることはなくなっていたけれど、3年目から郷里である外房のキングど田舎シティで暮らしていた私は、再びT君の部屋に入り浸ることが多くなり、この日も「かまいたちの夜2監獄島のわらべ唄」でピンクのしおりを出現させるために二人で奮闘していた。

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T君は大学に進学せず、高校時代からバンド活動に勤しむ傍ら、こうやってわたしとも遊んでくれていた。もともと知識欲が人並外れていたからか、私の持ち込んだ難題も楽しそうに聞いてくれる。

彼は私が読み始めるもっと前から京極作品を読み漁り、そこから波及して量子力学民俗学、宗教学にも明るいオタク青年になっていた。

ところでこの1年前、彼のお父さんが脳梗塞で倒れ、産婦人科医として再起は難しくなってしまったことが原因でご両親は離婚しており、T君はというとお母さまの実家に弟、お母さまと3人で暮らしていた。

このお母さまのご実家というのが、リナたちの住むキングど田舎シティの前市長のお家、つまりT君の祖父様は前市長。キングど田舎シティ中心街の一等地に築40年の純和風住宅を構えていた。おじい様はすでに他界していたため、一応の家庭の切り盛りはお母さまがしてはいたけれど、この家の当主は事実上T君となっていたのだった。ただでさえ3人では広大な屋敷を持て余し気味だったのにもかかわらず、彼は母屋ではなくて離れを占有していて、食事と入浴時以外はずっとこちらに引きこもっていた。私も用があるときは離れに行くだけだったので以前よりもT君を訪ねる頻度は高くなっていた。

「で、リナは単に足が欲しいわけじゃなくて、一緒にフィールドワークしてくれるヤツを探してここに行きついたわけね」と煙草をもみ消して着流し姿をこちらに向ける。この頃彼は家にいるとき部屋着として銀鼠の浴衣を愛用していた。

身長165㎝の小柄で痩せ型な彼の少しはだけた浴衣から見える鎖骨は妙に艶めかしい…が、付き合いが長すぎるせいか1ミリも欲情しない私。

『ついでに、その方法にも明るい人をキボンヌしているんだけどね』

「うちの蔵にも相当古い本があるけど…まずは図書館にでも行って郷土資料から漁るのが定石かな。あまり期待できないけど。それで、何か情報が仕入れられればそこから伸びた糸を手繰り寄せていけばいいかと。あした朝から図書館に行って、そこで策を練ろう。今はとりあえずピンクのしおりの方が大事」と再びゲーム画面に向き直る。

『あんがと』

「ま、俺もフィールドワークってやつをしてみたいとは思っていたから丁度いいよ」と画面から目を離さずにつぶやくT君。こいつは本当に人がいい。

何はともあれ、心強い味方を得た私はその日はそのままT君の部屋に泊まった。私もT君も、お互いに相手を異性だと意識していない、本当に貴重な友人だ。この日の夜更けにはピンクのしおりどころか、金色のしおりまで出してしまい、やるゲームがなくなったのは言うまでもない。

 

***

 

翌朝、図書館で郷土資料コーナーの本を片っ端から広げて、何かヒントはないかと探した結果、「上人塚」というのがキングど田舎シティの外れにあることを突き止めた。その地域、うちのキチガイオヤジの実家がほど近い場所にあるのどかな田園地帯だ。昼休みの時間帯を狙って、少々頭のおかしい父上に電話を掛ける。あの人の実家もだいぶ古いので、もしかしたら何か知っているかもしれない。

「おう、なんだいきなり」とものすごく不機嫌そうな感じだけど、これが彼のデフォルトだ。

『今ねー、民俗学の課題でフィールドワークしてるんだけど、父上の実家の近くに上人塚ってのがあるの知ってる?』

「上人塚ぁ?また物騒な話してるなぁ…」と、父は知っている限りの情報を教えてくれた。

 

***

 

戦国時代、この地域を治めていた大名が出した、もともと信仰されていた浄土宗から日蓮宗への改宗令のおり、この地の某寺の住職が改宗に応じないため、捕えられて生き埋めにされた塚であるらしい。また、近くの村出身の徳高い名僧が、入滅後葬られた塚であるとの伝説もあるとのこと。

後半の話はどこの地域でもありそうだけど、改宗に応じない坊さんを生き埋めにしたというのは香ばしい

日蓮宗へ強制改宗の話はやはりあったのだ。残念ながら日蓮ご本人によるものではないようだけれど。それにしても生き埋めって。

また、ついでといわんばかりに父はもう一つ地元に残る香ばしい民話を教えてくれた。経文塚というのが父の実家のすぐ近くにあるらしい。

全国各地に経文塚というのは残っているらしいのだが、どうやらこの地域の経文塚は世間一般のものとは意味が全く違うらしい。祖母の生家で聞けば詳しく場所を聞けるとのことなので後ほど行ってみることにする。

【経文塚】というのは本来、仏陀の入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩がこの世に降臨する際に備えて、そのころまで経典がなくならないように、と経文(法華経がおおかったらしい)を金属や陶器製の容器に入れて土中に埋めて奉納する作善行為のことだ。言ってしまえばタイムカプセル。

似たような言葉に「お経塚」というのがあるけれど、こちらは室町時代などに戦死者を供養する意味で経文を骸といっしょに埋めたお塚のことで、意味は異なる。どちらにしても、決して物騒な意味ではなく、うちの父上が言ったのとは全く違う。

父が私たちに教えてくれた経文塚にまつわる民話こそ、師匠が求めていたものの答えのようだった。私たちは祖母の生家に向かい、ばぁさま(祖母の妹)に話を聞いた。

 ***

------日蓮が立教し、各地を行脚していたころ、この地域には浄土宗が巾を利かせていたらしい。前述のとおり、日蓮は多宗派を徹底的に批判し、著書「立正安国論」のなかでは「禅宗や念仏唱えているだけの浄土宗を迫害しないと日本は外国に攻められる」というイスラム国もびっくりのトンデモ予言を展開し(当然幕府からは黙殺される)、現実に元寇文永の役)が起きると「念仏なんか唱えるから元寇なんか起きるんだ。それ見たことか!」で有名。

なお、一応予言は当たったので幕府に召喚されて「二度目の侵攻はあるのか、あるのならば次はいつなのか」と問われたとき、

「二度目の元寇弘安の役)はすぐ来ます!今すぐ来ます!次はもっとヤバいのが来るので日本は法華宗に改宗して、いますぐ禅宗と浄土宗を迫害しましょう!今すぐ!ブヒィィィイィ

とおおよそ聖職者とは思えないクレイジー理論でまくしたてるような猛者。信者たちも浄土宗なんて見かけたら迫害せずにはいられない。どうやら経文塚がある場所にはもともと浄土宗のお寺があったのだけれど、通りすがった日蓮宗徒と思しき僧侶の一団が寺ごと焼き討ちし、のちの延暦寺の焼失時の如く浄土宗の僧侶たちが皆殺しにあったらしい。上人塚の比ではない大惨事だ。そして土地の民たちは、殺された僧侶たちの無念がいずれこの地に災いをもたらすのではないかと、浄土宗の経典を僧侶の骸と一緒に埋葬したのだという。そして、日蓮宗徒がこの塚を見たときに「浄土宗の僧侶に供養など不要!ブヒィとのそしりを受けぬため、供養塔は建立せず、表向きは「改宗に際して不必要となった経典を土中に埋めた塚」として経文塚と名付けたのだという。

なかなかスケールの大きなお話だった。T君なんか瞳をキラキラさせて聞いていた。もう、経文塚を実際に見たくてウズウズしている目だ。いい目をしていやがる

わたしたちは挨拶もそこそこに祖母の生家を後にし、ばぁさまから聞いた経文塚があるとされている場所へと向かった。

途中で舗装された道路は途切れ、砂利道が200m山の方へと伸びている。小高い丘にあり、四方を雑木林に囲まれた天然の要塞のような場所。こんもりと土が縦横5mほどの方形に盛られており、中央から10mほど離れた場所に小さな祠があった。さすがに読経するわけにもいかず、祠に一応手を合わせ、師匠に提出するべく辺りの写真を撮り始める。

塚の遠景、ここまで至る道、人の往来を拒むように密生している雑木。ひとしきり写真を撮り終えた私たちはそこで煙草に火をつけて一服しようとした時だった。

実は、ここに来た時から云い得ぬ不安な気持ちになっていた私。陽が当たらぬような場所ではあるけれど、真夏なのにちょっと肌寒い…気がする。T君も同じ気持ちだったらしく、しきりに周りをきょろきょろしている。

『あんまり長居しても仕方ないから帰ろうか?』と言おうとしたその時だった。

「ヒッ!!」

とT君が声にならない悲鳴を上げた。

 

わたしたちは祠の前で煙草に火を付けようとしていた。その祠の周り半径3mほどが、

毒蝮(マムシ)数匹に囲まれていた。見えるだけでも4~5匹いる。

わたしたちはそのまましばらく動けずにいたが、マムシも動く気配がなく、じっ…とこちらを見据えているようにも見えた。

無言で立ち尽くすこと数分。喉はカラカラだし、脂汗がダラダラと出る。

T君は私に目で「逃げよう」と合図を送ってきた。わたしも無言で頷く。意を決して、そろりそろりと彼らを刺激しないように経文塚をあとにするわたしたち。幸いマムシは襲ってくることはなかったけれど、気づかずに刺激していたらどうなっていたかわからない。

徒に塚を荒らした私たちへの仏罰なのか、それともあそこに眠る浄土宗徒の日蓮宗徒への怨念なのかはわからないが、この時ばかりは本気で焦ったね。

そういえば、とばぁさまが私たちの去り際に「祟られるから荒らすんじゃねぇぞ」って言っていたのを思い出した。うん、もう来たくない

***

 

帰りの車の中、運転しながらT君が言った。

 

「俺、リナに謝らなきゃいけないことがあるんだ…」

 

『…なに?』

 

「祠にさ、手を合わせたじゃない?」

 

『うん…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺さ、南無妙法蓮華経って唱えちゃってた。脳内で」

 

 

 

 

 

『お前のせいか!!』

 

 

自分の脳に時限式の爆弾を仕掛けたお話でした。

【脳に仕掛ける時限爆弾(中編)】

(前回までのあらすじ)

リナ、外国語系大学に入っても頭の中はオカルトでいっぱい。ぺぺぺぺぺぺぺぺぺ。
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 大学2年の春のことだ。通年で選択した講義の中に「哲学」があった。

私の在籍した学科の学科長M教授が受け持つ人気講義で、毎年抽選が行われているほどの倍率。初年度は残念ながら履修できなかったのだけれど、2年目は運よく受講することができた。

この学科長、哲学の教授なのに、何故かまわりの教授陣にはめられて多数決で外国語学部の言語文化学科長の座に就任した可哀そうな人物なのだけれど、超弩級のお人好しに加えて、大の雑談好き。しかも関わった学生のほぼ全員の顔と名前が一致するほどフレンドリーで、学内を歩くと必ず学生に呼び止められて長話を始めてしまい、昼食をとれずに午後の講義に現れてお腹を鳴らしながら教鞭を振るうという実に好感の持てるオジサマだった。

リナの理想の老眼鏡紳士とまではいかないけど、身なりは街の古本屋の主のようなアットホームな服装で、笑顔が絶えず、男女問わず慕われていた。講義が人気の秘密はこの人の人柄にあるのではないだろうか。

M教授は生まれが東京で実家は曹洞宗のお寺京都大学院卒後、後を継ぐのは弟に丸投げして得度せずに学者になってしまうところが自由奔放。で、お寺の息子なだけに、仏教と哲学を絡ませた著書が多数。

ドイツに渡りカント哲学と宗教学を修めたりはしているけど、帰国後の研究テーマは宗教哲学や禅学。

さて肝心の講義は、前期が「愛とはなにか」、後期が「宗教について哲学してみる」。講義とは名ばかりのグループワーク中心。10人ほどのグループでテーマについて毎週ディベートして、出た結論を毎週発表。期末考査はそれぞれのテーマについて自由にレポート提出。

前期のテーマ「愛」。アガペーなんて体の良い題材なんて使わない。当然の如くについて語ったレポートを提出。高校卒業とともに腐女子は卒業していたけど、一風変わったテーマのレポートを提出するためだけに腐り直していたからね。具体的に言うと参考文献として薄い本を数十冊読み返したアタマおかしい。それはもうオスとオスのガチホモバトル。まぁ、なんか知らんけどA評価だったわ。あ、今回はホモォなお話ではなかった。自重。

 

さて、M教授の哲学。後期のテーマ「宗教」は教授の専門分野なもので、講義にも熱が入る。

私たちのグループはというと、土着宗教と山岳信仰、そして立川流に救済を求めた高僧たちについて毎週熱く持論を展開した。周りの学生たちは大雑把に「キリスト教」「仏教」などと、少し調べれば中学生でもわかる内容を凡そ哲学とは関係ない視点で取り上げていたので、リナのいたグループは完全にディープインパクトだった。もはや講義テロだ。どこの大学生が仏教サバトに救いを求める高僧の話をテーマに哲学するだろうか。教授は満足げだったけどほかの学生は引いていたね。うん、うちだけアタマおかしい

そんな仏教のダークサイド思想について考察したリナのレポートは何故かA評価

M教授に「リナは哲学者か宗教学者に向いている」と言わしめたからね。たぶんこの教授もどこかアタマおかしい。加えて「リナが持ってくるテーマは俺の研究室にも欲しいところだけど、S教授の研究室だったらよだれ垂らして欲しがるところやで」と、なんか知らんけどS教授という人物に私を紹介する始末。

誰だよS教授って…とシラバスをよく見返していると、S教授_民俗学」「S教授_文化人類学の文字が。恥ずかしながら、実は私はこの時初めて「民俗学」という単語を知った。「みんぞくがく」って「民族学」かと思っていたのだ。S教授に次年度の講義内容を詳しく聞いてみたらものすごく香ばしい

「宗教と呪い

「民間伝承にある呪いと宮廷における調伏

遠野物語に綴られる日本の原風景と土着信仰」。

なにこれやばい。メインテーマに呪いがふたつも入っている。怪しいニオイがプンプンする。しかも遠野物語って座敷童で有名なあの遠野物語か。くさい。くさすぎる

もう音速でS教授に次年度絶対に履修するので抽選になったら裏口当選させてくださいと懇願したね。

姑獲鳥の夏」を読んでからというもの私の脳内には常に「呪い」という単語が踊っていたので、この民俗学の講義を受けられるのは僥倖だった。当然、呪いについて知識を深めようとしか考えていなかった私はこの時すでに狂っていたのかもしれない。

そして迎えた3年目。晴れて私はS教授の民俗学の履修に成功する。

シラバスをよく確認していなかったのだけど、受講人数は100名の完全講義形式。大教室で一時間たっぷり教授が話し続ける。

学生の間では「民俗学は最初の受講者カードを記入提出してしまえば、寝ていても期末にレポート提出で単位はもらえる」「D大学最強のらくらく単位取得講座」などと呼ばれ、受講する学生の半分は単位4つを欲しいが為だけにこれを受講していたようで半数以上の学生は寝ていた。

さて、S教授は御年64歳。なかなかの高齢だ。

講義初日、開口一番「僕も老い先短そうですし、外国語学部じゃ興味のある学生さんは一握りでしょうから、まぁ、皆さんは一時間僕のお話を聞いて下されば結構です」などと宣い、有言実行。その日は本当に一時間「民俗学ってなぁに?」を話し続けていた。私は広い大講義室の最前列に一人で座り、さっさと呪いについて教えれのオーラを出していたが、その日は呪いの「の」の字もなかった。

初日に配られた資料だと、講義は4月は「アニミズム」5月「山岳宗教と土着宗教」6月「遠野物語の成り立ちとその特異性」7月「前期まとめ(だったと思う。忘れた)」と書いてあったけど、この教授、自分が作った工程表通りに講義を進めてくれない。

アニミズムについて語りだして、卑弥呼が出てくると卑弥呼の話に、卑弥呼の話から大和の話に、大和の話から日本書紀の話に…と話が飛びすぎて気が付くと時間が過ぎていたりする。お話は全て面白いけど、メモとか一切取れなかった。どうやら上に提出するために止む無くカリキュラムを作っていただけのようで、好きな話を好きなだけ聞かせたら満足という感じだ。挙句の果てに、たまに窓の外を見つめてため息交じりににたいねぇ…」とか言い出す始末。この人もアタマおかしい。これはM教授に騙されたか…?

 

ところが、この教授は「呪い」にだけは本気で取り組むということを後に知ることになる。

 

5月に入って一応、山岳宗教のお話に入ろうかという頃、S教授は突然「形代」を懐から取り出した。形代というのは、よく陰陽師式神を召喚するのに依り代とする紙製の人形だ(図1参照)。

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(図1)形代

「これ、何だかわかりますか?わかる人、挙手」…この人が講義内で挙手を求めるのは珍しい。最前列で手を挙げるわたし

「一人だけですか…さびしいですね」

後ろを振り向いても誰も手を挙げていない。

「じゃあ、リナさん。お答えください」(M教授が紹介したおかげか私だけ名前と顔を憶えてもらえていた)

『かたしろ…ですよね』

「そう、形代ですね。これは人間を模したものなので人形代(ひとかたしろ)とも呼びます。ではついでに。何に使うかはご存知ですか?」

『…人を呪うときに使いますよね…釘で刺したり…』

「ああ、いきなりそこから言っちゃいましたね。陰陽師でも出てくるかと思ったんですけど、丑の刻参りから来ましたか(笑)それでは、この形代。いつのころから呪いに使われていたか分かりますか?」

質問攻めにあう私。

『(この人、私を試しているんだろうか…)』

確か、奈良時代ごろから丑の刻参りが始まったとどこかで読んだ記憶がある。記憶自体が曖昧だけど。

奈良時代…ですか』

「うん、外れ」

何…だと…?

「形代を使った呪いはね、古墳時代からあったとされています。卑弥呼の時代、アニミズムの象徴としても形代は存在していたんですね。確かに、奈良時代に木製の形代に釘を打ち込んだものが出土しているみたいですけど、日本書紀には古墳時代に形代を使った呪いがあったと書いてあります」

本当にこの人、呪い大好きなのだろう。呪いの起源を知りたくて日本書紀読んだのか。

 

さて、丑の刻参りを知らない人はいないと思うけれど、ざっとおさらいを。良く知っている人や、よくやっている人は飛ばしてしまおう。

***

【丑の刻参り(うしのこくまいり】

古くは「丑の時参り」とも。丑の刻(午前1時~3時)に、呪いたい相手に見立てた形代を神社の御神木に釘で打ち付けるという、日本古来からの呪術の一つ。

古いだけあって、その形態も方法も地方や時代によって様々に変化する。形代も藁人形であったり紙の形代であったり、木の形代であったりと様々。

現代で一番有名なのは呪いたい相手の髪の毛や爪、皮などを藁人形の中に入れて五寸釘を打ち付けるという方法だけど、これはかなり新しい方法

妖怪画図の元祖・鳥山石燕の本なんかには丑の刻参りをする女性の絵が詳細に描かれていて(図2参照)、こんなの江戸時代に居たのか、思わせるおどろおどろしさがある。

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(図2 丑の刻参り 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)

なお、ご神木で有名なのは京都の貴船神社(図3参照)だけれど、ものもとここは呪いのメッカではなくて、「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻」に参詣すると願いが成就するという伝承が長い歴史の中で変化していったものらしい。可哀そうな貴船神社。縁結びの神様で有名なのに…。因みに、実際に貴船神社をみるとその荘厳さに圧倒されて、「来てよかった」と思うだろうから是非行ってほしい。

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(図3-1 貴船神社

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(図3-2 貴船神社参道)

 なお、石燕によれば、丑の刻参りをすることにより怨霊・悪霊の類を召喚し使役することで相手に不幸が訪れるとのこと。呪術の世界ではこの「召喚して使役する」呪術を総称して「厭魅法(えんみほう)」という。

日本に古来より伝わる呪術のもう一つ「蟲毒」と人気を二分する。

蟲毒については…コメントなどで要望あればそのうち書く。

では続きをどうぞ。

***

「というわけで、ここから僕の得意分野。呪いについてです」

呪いキタ――(゚∀゚)――‼

ここから怒涛の呪詛講義が始まる。人が変わったかのように呪いについて熱く語るS教授は、はたから見たらまごうことなきキチガイだった。

アニミズムにおける祈りと呪いについて。

修験者による密教の呪術。

陰陽師安倍晴明)の台頭により呪術が政治を動かすようになった話。

武家社会が成立し陰陽寮が廃止されたのち呪術は民間に浸透していった話。

呪いと祝いは、言葉は違えど本質は同じということなどなど。

濃密すぎて他の学生はドン引いていた。対照的に、必死にメモを取る私。

今思えば何が私をそこまで駆り立てたのか分からないけど、あの大講義室で必死にメモを取っていたのは私一人だと思う。

そのひと月は本当に濃ゆくて、リナの小さな胸は悦びに打ち震えていた。その時もう既に私の脳内ではS教授は師匠と呼ばれていたね。そんな師匠の超濃密度の呪い講義はほぼ1か月(4回)に渡り繰り広げられた。古墳時代から現代にいたるまでの呪術の様々を修めたリナはどこからどう見ても気持ち悪い女子だった。呪い談義の最後の日、師匠はリナに向けてこう告げる。

「呪いとは、プラシーボのようなものです。自分が呪われていると思っていれば、怪我をしても、具合が悪くなっても、不幸が起きても、悪いことが起きればすべて呪いのせいだと思います。つまり、意図的に呪いを成就させようと思えば、相手に呪われていることを伝えるのが良いでしょう。これが現代に生きる私たちのできる呪術です。ですが、自分が呪っているということは伝えてはいけませんよ。呪詛返し(呪いが術者に返ってくること)を食らいますからね」

この教授とんでもないことを学生に教えている。だが…。

そういえば、と「姑獲鳥の夏」の作中で京極堂呪いとはに仕掛ける時限式の爆弾という台詞を吐いていたのを強烈に思い出した。つまり、「呪ってやる‼」ではなく、「あなた、呪われているよ…」が正しい呪い方というわけか。特別な技法など必要なく、ただただ言葉で相手の心に時限式の爆弾を仕掛ける。

相手は疑心暗鬼になり、いずれ訪れる不幸により呪われていることを自覚し、呪われるようなことをしでかした自分をさらに呪う負の連鎖だ。これ、威力抜群じゃなかろうか。ふふふ、我、天啓を得たり。のちの呪い少女リナ誕生の瞬間だった

まぁ、そう簡単に呪った相手に不幸が訪れることはないから、成就することも少ないんだけどね。むしろあたしが不幸だわ

 

【次回予告】

呪いを修めたリナ。師匠と仰ぐS教授から、夏休み中に必ずこなすようにと、とある特命を仰せつかる。ほかの学生には課題なんか出ていないのに、と困惑するリナ。にやける教授。巻き込まれるT君。与えられた課題は郷里千葉県を駆け回る呪い少女大冒険だった。そして気狂いした父親の生まれ育った土地で、リナは民俗学におけるフィールドワークの恐ろしさを知る。次回、サブタイトル「不幸を一身に背負った土着宗教」この次もサービスしちゃうわよ。

【脳に仕掛ける時限爆弾(前編)】

民俗学という若い学問の名前をご存知の人は多いと思う。

近代化が進み、忘れ去られてゆく伝統や風習への憧憬や、懐古主義的な人間たちがかつての自国の在り方を求めることによりナショナリズムが高まったために発生した、いわば近代化の副産物だ。

歴史学や考古学とは違い、現代に脈々と語り継がれている事象を扱うこの民俗学(というほど深くまで掘り下げていないけど)が私は大好物だ

私のみならず日本人というのは民俗学が大好きな人種といっても過言ではない。日本人の中には私のような懐古主義者は多いし、神話・妖怪の類は今なお姿を変えて民間に伝承している。みんな大好き猫娘(5期or 6期)、いや、ゲゲゲの鬼太郎だって元ネタは民俗学だ。

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(図1 猫娘の変遷。6期の可愛さは異常)

 

「神様仏様…」というフレーズ。これだって突き詰めると立派な民俗学だ。

ほんの少しだけ掘り下げると、例えば民間療法や土着宗教というのはその土地に根差したものだから、土地の歴史や民話・伝承・口承、時代時代の出来事と強くつながっているものだ。

ひと言に神道祝詞といっても、最初は同じであったはずなのに、関東と関西では同じ大祓祝詞も文言が変わってくる。

仏教なんか時代に合わせて求められる宗派が変遷するものだから、部派仏教から大乗仏教系、密教へと変遷していきもはやシッダールタの教えはどこが帰着点なのかわからない。そもそもシッダールタは「わたしの教えなど後世には歪められてしまうので書き残さなくてよい」といったのにもかかわらず、仏陀の言葉をすべて覚えていた弟子のアナンダ(呪われた顔面を持つ男)が後に書き記してしまった結果が今の仏教の原典だ。

そしてやはり仏陀の教えはだんだんとその形を変えてしまっている。この辺も時代で国民が求めるものが変化していったために起こったもので、その根底にあるものを研究、追及していくと学問としては民俗学に帰着する。よく歴史学と混同されがちだけど、歴史学というのは「資料・史料を基に5W1Hで歴史を紐解く(立証する)学問」であって、民衆民間の伝承や伝奇・怪奇の部類は「史実を立証する学問」という歴史学の立場からすると本来排除されるべきものだ。

歴史学は過去を取り扱うものだけど、民俗学は過去から現代に伝承しているものを扱う。取り扱う時間軸からして、全くの別物だ。

しかしながら多くの古い文献は消失、あるいは意図的に隠滅されているため、歴史を紐解く鍵となる一つのファクターとして民俗学を取り入れているのが現状だ。

その場合、歴史学においては細分化され「都市・村落史」「民衆史」「風俗史」などと史学の一環として取り扱われる。膨大な資料を研究し過去を解き明かす歴史学と、資料が残らないような伝承の類で現代に残るものを、フィールドワークを基に解きほぐしていく民俗学。似たようで非なるものだ。

なお、この話題に文化人類学社会学などの話題をぶち込むと某巨大掲示板での議論のもとになりかねないので、ここ「わななき」でいう民俗学はあくまでカタリナの個人的見解として「古来より現代にいたる民間伝承・口承の類とそれに付随する土着宗教・信仰に関する学問」と規定する。異論は認める。では本題に移ろう。

 

 ***

 

人生初の大失恋を経験する少し前、中学3年生のゴールデンウィーク。私が住んでいた新興住宅街のコミュニティセンターと呼ばれる開けた公園で、自治会主催のフリーマーケットが催されたことがあった。

なぜそんなところに足を運んだのか覚えていないけど、星野君に会えるかもしれないという薄っぺらな期待を抱いて何ともなしに足を運んだのだと思う。

フリマといっても、幕張メッセドキドキフリーマーケット毎年53日~5日開催。みんな幕張GOのように大それたものではなく、家庭で不要になったものを募って…というバザーのようなものだったけれど、うちのキチガイオヤジが見たところ、街の骨董屋に並んでいそうな伊万里焼のお皿があったり、目玉が飛び出るような値段のバカラグラスを出品する猛者が居たりと、売る気があるのかわからない出品者もいてなかなかに盛況なご様子。

うちの弟は当時プレイステーションセガサターンが主流なのにファミコンソフトを買ってきて散々わたしにバカにされて涙目になっていた。

同級生も何人か歩いているのを見かけたけど私の目は星野君しか探していなかった。

会場を一周、二周とキョロキョロしながら歩き、星野君の不在を確認したので帰ろうとしたとき、たまたま同級生の谷津君がお父さんと出店しているのを見つけた。商品はすべて本。

どうやら彼のお父さんは本の虫だったのか100冊ほどの本を売っていたのだけれど、どれも新品同様にきれいな保存状態。学術書のようなハードカバーの、おおよそ一般人が買わなそうなものから、官能小説と思われる俗なタイトルの本までジャンルがカオス。文庫本だけで50冊くらいあったと思う。

さすがに専門書は覚えていないけど、文庫本の中には「大沢在昌」「眉村卓」「菊池秀幸」「夢枕獏」「宮部みゆき」「西村京太郎」「椎名誠」「赤川次郎」「我孫子武丸」などなど。そういえば「マインドスクリーン(結城 惺)」が何故か置いてあった。私が腐るきっかけとなった本だ。
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 谷津君のお父さんは腐男子だったのだろうか。…まさか、ね。
comic.pixiv.net

さて、基本的にその頃は恋していても腐り堕ちた状態のわたし。本格ミステリーやハードボイルドなものなどは読んでいなかったのだけれど、せっかく同級生の出しているお店なので何冊か選んで購入してあげることに決めた。「北の狩人(大沢在昌)」「不定エスパー(眉村卓)」魔界創世記(菊池秀行)」「魔獣狩り-淫楽編-夢枕獏)」「我らが隣人の犯罪(宮部みゆき)」など。

不定エスパーは私の大好きな小林智美様がイラストを描いていたので即決まり。小林智美様といえば耽美で官能的な絵でまれに腐った絵を描くのだけれど、この本はいたって普通のSF小説だった。残念。

宮部みゆきはデビュー作を読んでみたかったため衝動買い。デビュー作だけあって読みやすい文章だけど、後のヒットを匂わせる才能の片鱗は見えた。

北の狩人は谷津パパのおススメ。ハードボイルドだけどなかなかに腐れる内容。

そして魔界創世記(菊池秀行らしいエロスたっぷりの伝奇もの。ページ数稼ぐためにエロを入れているとしか思えない)と魔獣狩りは完全にジャケ買い。リナの中二病が原因だった。

この時の中二病のせいで買った魔獣狩りシリーズが、のちの呪い少女リナが生まれるきっかけを作ることとなる。

この魔獣狩り-淫楽編-、話の筋は「空海即身仏をめぐっての真言宗高野山の破戒僧美空・他人の精神に潜ることのできるサイコダイバー九門鳳介・中国拳法の達人で復讐鬼の文成仙吉らと密教系秘密結社ぱんしがるの闘いを描いたSF伝奇シリーズ」で、夢枕獏の「エロは本気で書く」主義が徹底的に盛り込まれた中学生の女の子にはちょっと刺激的な本なのだけど、リナにとってはそこまで壊滅的なエロスでもなかった。どちらかといえば目を引いたのはそのオカルト要素真言密教ヒンドゥー教については参考文献を見ればわかるけど恐ろしい量の資料をもって描かれていて、ちょうど当時某過激派宗教団体の事件が世を騒がせており、まさにタイムリーな題材だった為か、話の内容も頭に入ってきやすかった。

二度、三度と読み耽るうちにわたしはどんどんオカルト方向に引き込まれていく。学校の勉強は全く好きではなかったけれど、気の狂った父親の遺伝子が組み込まれたせいか、興味を持った分野にはパンパース肌想いのような途方もない吸収力を誇るリナ。オカルティックな知識をもりもりつけていく。

中学3年生で「真言立川流」「理趣経」「胎蔵界」などをスラスラと説明できたのは多分リナくらいではなかろうか。(上記を知りたいキチガイはコメントにでもその旨を書いていただけばそのうち書くかもしれない。)

オカルト世界に迷い込んだ私はその後も夢枕獏作品はもとより、様々な役に立たない本を読むようになる。先にも述べた通り、受験勉強と無縁の生活を送る間、ゲーム・イラスト・オカルトの3本柱を主軸に生きていた。失恋して病んでからは、より一層気持ち悪い女の子だったのだ。ほんとアタマおかしい。高校入学後は真言密教の他にも、安倍晴明で有名な陰陽道に始まり、その源流を知りたくて修験道仙道呪禁道など、日本古来のオカルティズムをどんどん吸収していくリナ。ちなみに私がよく血盟チャット内で唱えている「オンキリキリバサラウンハッタ」というのは陰陽道というよりは修験道により近い真言で、出典は実は「サクラ大戦」。語呂がいいから唱えているだけで、正確な真言ではないので悪しからず。なお、「オン~ウンハッタ」というのは護法の真言なので呪っているわけでも、ましてや人に危害はない。

 

陰陽道とはあくまで道教のカテゴリのひとつで、宗教体系や思想を表す単語ではない。「物事の吉凶を占い、政治にアドバイスする」のを目的として官職まで与えられた、というだけで、退魔士としての側面はみんな大好き安倍晴明が呪術的要素や祈祷を陰陽寮に取り入れたことに端を発している。「陰陽師が凶事の原因を占い、密教僧が加持祈祷・調伏を行う」というのが古来の在り方だったのだけれど、個人的には安倍晴明のヒーロー的扱いや、呪術的側面が全面に出ている現代の風潮は嫌いじゃない。萌えるし

修験道は、そもそもは役小角役行者とも)というこれまた有名人が開いたといわれているのだけど、もともと古来よりあった山岳信仰に日本神道と仏教が習合するという、日本民族らしい「いいとこどり」の宗教だ。山岳宗教における「山川草木に人が同化する」、神道における八百万の神、仏教(特に真言宗天台宗のような密教)における仏法を扱い、独自の神様(蔵王権現愛宕権現など)を作ってしまうバーリトゥード宗教、それが修験道。日本人らしさがプンプン匂う。前鬼・後鬼、天狗などの創作のモデルにもなりやすいオカルト要素も修験道発信。香ばしさはMaxだ。

そもそも陰陽道修験道から派生したといわれている。大元の修験道が何でもありの宗教なのだから、その後の陰陽道中二病全開になるのも無理はないと思う。

しかしながら、宇治拾遺物語今昔物語集を読んでいると頻繁に陰陽師密教法師が出てきて悪霊・怨霊その他をイリュージョンしまくるのだけど、平安の昔から中二病的な要素は愛されているようだ。1000年近く経っても日本人の心は変わらないということか。オタク的な意味で

さて、呪禁については少年ガンガンで連載していた「夢幻街(水沢優介)」という当時の腐女子御用達の漫画で知った。どちらも道教系の系譜に一応なっている。この漫画は仙道の中でも「狗法」という、人が天狗になる方法を修めた主人公を取り扱った変わり種で、ガチ修験道のような真言系山岳宗教とはカテゴリに違いがあるけれど、作中には蟲毒(こどく)、苦蛇(くだ)、即身仏、符術師、呪禁師(じゅごんし)、道士、反魂香(はんごんこう)、修験者、はては餓鬼、蛟(みずち)、飯綱(いずな)、獏(ばく)、猩々(しょうじょう)など妖怪の類まで、なかなかにオカルティックではあるので気になった方は調べたら(読んでみたら)いい。ブックオフにて100円で買える。どう考えても南国少年パプワ君ハーメルンのバイオリン弾き魔法陣グルグル突撃!パッパラ隊などのギャグマンガが大半を占める少年ガンガンの中では異彩を放っていたけれど、新興の雑誌だったからかこういう漫画もたやすく載せちゃうところが当時のガンガンは好きだったなぁ。・・・話がそれた。

***

そんなオカルティックな書物をこっそり読み耽る私は、大学入学後には京極夏彦夜行シリーズに出会ってしまう。無駄に重厚な文章、考えつくされたカラクリ。ミステリーと妖怪を退魔する拝み屋(陰陽師)というトリッキーな組み合わせ。「この世には不思議なことなど何一つないのだよ関口君」という妖怪を題材にしているとは思えない京極堂のリアリストぶり。何故か見え隠れする量子力学。京極の処女作姑獲鳥の夏の文庫版を手に取って読み始めて、あれよあれよという間に刊行済の作品を読み進め、ここまで蓄積された無駄知識が小説の内容にシンクロしてしまい、気が付いたらどっぷり京極作品にはまっていた。

特に作中で頻繁に出てくる「思想」「宗教」のテーマ。こと仏教と神道、その思想についての造詣は深く、高校生の頃はただ面白がって読んでいた宗教をテーマにした書物も、宗教と思想をリンクさせて読み進めていくと冒頭で書いた人の思想と仏教の様式の変遷が見えてきて、今度は文化人類学宗教哲学にまで手を出すようになる。京極夏彦との出会いは後の呪い少女リナの完成に大きく関わっていくこととなる…。あ、5000字超えてしまったので、待て次回。(続く)

【心が叫びたがっているんだ(ノーマルだと)】

 

【前回までのあらすじ】

リナの初恋、泡沫の夢と化す。ぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺ…。

 

腐っていたことで凄絶な失恋を経験した私は、その直後から腐った薄い本と距離を置き始めた。読まないわけではないし、買うには買う。萌えもするけれど、以前のような熱を帯びた感覚にはならなくなっていた。

時は夏。追い込みをかける受験勉強シーズン真っただ中ではあったけれど、小学5年生から通っていた英語教室での勉強の成果なのか、当時の私の英語力は超高校級だった。中2で実用英検2級まで取っていたのは僥倖で、その翌年に新設される某私立高校の英語科の推薦(試験は英語1教科のみ)を担任に確約されていた。全国高校入試模試の成績も英語だけ偏差値80超えていた(3教科平均すると絶望感が漂うけれど…orz)。

今思えばその後の人生を何一つ考えていないバカ愚かな選択ではあったけれども、辛い受験勉強から逃れることができると私は確信していた(事実、1月中頃に行われた推薦入試もすんなりと合格し、同じく推薦で決めていたT君の家で毎晩TEKKEN2とブシドーブレードマリオカート64にいそしんでいた。

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1月31日にFF7が発売されるまではずっとT君の家に入り浸りだったけど、両親からすれば玉の輿とでも思っていたのだろうか。残念。リナの恋は夏に終わっているのだ)。

そんなわけで、このころからサボり癖が付いていたリナは、同級生の大半が家に引きこもり勉学に勤しんでいる夏休みも好きなことだけをして過ごすこととなる。ところが、失恋の後遺症なのか、このころの私はどこか病んでいた

どうにも公衆の面前で

「ねー、高志~ぎゅぅぅぅー」 

「ぎゅぅ~?甘えんぼだなぁケメ子は~」

「えー、だって高志あったかい~」

「しょうがねーなー」 

「えへへー。あったかい」 

「ケメ子もあったかいよ」 
「高志」 
「ケメ子!」(ガバッ)

「ああ!」

などとイチャコラするアホカップルを見ると沸々と怒りが湧いてきて、今のわたしなら「リア充爆発しろ。オンキリキリバサラウンハッタ…」と呪詛を吐く程度で済むのだろうけれど、当時のリナはそんな手ぬるい感情では済まなかった。その場に散弾銃あったらヘッドショット決めてお昼のニュースになっていたね。とにかく荒んでいた。

自転車で16km離れた海水浴場にソロで行って、カップルがビーチに敷いていたシートの下に落とし穴掘って、カップルが遊び疲れて休憩しに戻ってきたらキレイに落とし穴にはまって「ああ!」ってなるところを木陰から観察してyes!」(グッ!)とかいう空しい遊びをしていたからね。

友達と実行するならまだしも、計画から実行までソロ。もうね、完全に痛い子。中3でこれはない。

このリナの姿を星野君が見たらさらに距離を置かれていたに違いない。まぁ、高木になった星野君ならむしろ近寄ってくるかもしれないけど。

そんなわけで荒んだリナはそのままオタクに磨きをかけつつ、女子力を下げながら半年過ごして4月より晴れて高校生活を始める。

ここに至るまで、FF7でヒロインが死ぬという悲劇を見て涙した以外は書くようなことは全くないってくらい怠惰でどうでもよい半年だった。7、11含めFFシリーズとカタリナについてはいずれ一筆したためる。

で、前置きが少し長くなったけど、ここからが今回の本題。

***

小中学と同じメンバー60人の顔を見て過ごしてきたせいか、高校入学後1か月は新鮮な気持ちでいられた。私が通っていた高校は千葉県の山の中にポツネンと建っている。電車とバスで通おうとすると、2時間近くかかるという、高校生には正直しんどい立地だった。というのも、千葉県内でも特に房総半島に住んでいる民なら誰もが想像できるのだけれど、JR内房線JR外房線という房総半島の外周を走る路線の使い勝手がアホほど悪い。暇な人は千葉県の房総半島を地図で眺めるとわかるけれど、JR千葉駅を起点として、房総半島の太平洋側を外房線が走り、東京湾側を内房線が走る。

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この二つの路線、蘇我駅千葉市中央区)で枝分かれした後、半島の東西に分かれて海岸線にほど近いところを走り、半島の先っちょ安房鴨川駅で再び接続する。私が住んでいたのは外房側のちょうど真ん中位。対して、母校は内房線の真ん中位なのだ。車で山道をひた走れば約1時間、ところが電車とバスを乗り継いで通学しようとすると2時間近くかかるアタマおかしい。ところが、そんな立地の悪い場所だけど、進学校を標榜していた母校は、保護者からすれば進学校に我が子が通うということがステータスなのかは知らないが、県内外から結構な人数が騙されているとも知らずに登校していた。

また、保護者のことを思ってか、はたまた単純にその交通の便の悪さからなのか、我が母校は無料スクールバス20台を運行し生徒の登校を支援していた。特に山越えをしないと通えないようなリナの居住地域には台数も多く裂かれていて、朝になると駅前では、スクールバスという名の護送車に詰め込まれた百数十名の死んだ魚の目をした生徒が山奥に強制連行される様を見ることができた。

バス内では何故かスピードラーニングのような英語の放送が流され、死んだ目をした学生たちは、まだ学校につく前から進学準備という題目を盾に強制で勉強させられることになっていた。

この制度を考え出した当時の教務主任はほんとアタマおかしい。しかもゆとり教育がまだ始まるギリギリ前の世代。わが校は37時間授業の日があり、残りの6時間目までの日は、希望者のみではあるが「特別ゼミナール」なる普段の授業とは別に、より受験に則った問題集を教師陣が講義するという奇天烈な時間まで設けられていた。90年代の私学進学校などはこんなものだったのかもしれない。

 

さて、リナはというと先に述べた通り、英語のみで勝ち上がってきた。今年から新設された英語科のいわゆる第1期生だ。今ではそれほど珍しくはないのかもしれないけれど、完全少人数制のコースだった。なんせ14人しか合格していない(英語科は滑り止め不可の第1志望のみ受験可)。アメリカナイズされた授業をガリガリこなす斬新な授業風景であったのは間違いない。普通科と一緒の教室で授業を受けるのは一部の必須科目のみで、ほかは選択だった。完全に文系特化。数学なんて数Ⅰしか受けていないからね。数Aは国立志望する猛者だけ。リナなんて最初から私大志望だから数学なんて捨てていた。微分とか積分とか意味わかんない。マクローリン展開とか言われても理解に苦しむし、自然対数って何?って感じだ。

そんな、3年間英語漬けの監獄生活が約束された我が母校、英語コースの他に、芸術コースなる特別科があった。こちらも少人数で学年に20名ほど在籍していた。音楽コース(楽器演奏・作曲・声楽)と美術コース(絵画・デザイン・彫刻)に分かれていたけどここの女子率が9。私の学年なんて男子はピアノ弾きのメガネ君と絵描きのオタク君が居るだけだった。しかも私の入学年度は芸術科の女子の美人さん率が異様に高く、いわゆるブスっ娘は一人もいなかった。このメガネとオタクのメンズは3年間ハーレムで過ごすことが確約されているとか、学年中、いやさ学校中の非モテ男子の羨望の的だったのだ。

そんな一芸に秀でた人種を寄せ集めて少数で構成されている英語コースと芸術コースは世界史や日本史、生物、家庭科、保健体育など必須外科目がすべて同じ教室にまとめられていたため、必然的に交流が多くなった。3年間この三十数名と学園生活を共にすることになる。もとい、この美人さんたちを眺めつつ脳内でキャッキャウフフしながら3年間過ごすのは楽しみだった。

 

そんな美人揃いの芸術コース女子のひとりと急接近する出来事が入学二日目にして起こる。中学時代のリナは緑化部(帰宅部だと内申書に響くため学校が用意した文化部。3年間で活動履歴無し)だったけど、高校ともなれば色々な部活があるに違いない、と勘違いした私は部活紹介パンフレットを見て驚愕する。

文化部=茶道部吹奏楽部…以上

芸術コースを設置しているにも関わらず美術部すらない…。なんだ茶道部って。漫画にしか出てこないと思っていた(実際は結構本格的にお茶の作法を学べるので3年間在籍するとそれこそ「結構なお点前」になる)。

後から聞いた話では、芸術コースの生徒が美術部に入ると普通コースの子がやる気をなくして退部してしまう事件が続発したそうで、個人主義的な美術部は廃部になったとか。

そんな全く充実していない部活動のラインナップを見て、また帰宅部か…と放課後の時間つぶし(スクールバスの運行がホームルーム後の16:30と部活後の18:30の2便しかなかったためホームルーム後の便を逃すと18:30まで強制で校内に残ることになる)がないことにブルーになっていたが、学校というところは生徒全員に義務的に奉仕させる風習があった。それが委員会活動だった。

美化委員会(校内の清掃人)やら放送委員会(お昼と下校時の放送並びにイベント時の放送機器の取り扱い)やら保健委員会(イベント時に保健医の助手として活動。冬になるとアルコールスプレー配るマン)やら。

放送委員会にはちょっと興味あったけど、毎日活動するわけではなく日替わりで担当を決めるらしく、暇つぶしは週1回しかできなさそう。

当時、花とゆめコミックス「瞳・元気」という少女コミック(男性恐怖症の主人公が優秀すぎる生徒会メンバーとのふれ合いを通して男性恐怖症を克服していくお話。検索検索ぅ)を読んでいた私は生徒会に一瞬心惹かれたが、入学式で見かけた生徒会長が勉三さん(キテレツ大百科に少し似ていたので却下した。

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ほかに心ときめく委員会はないかしらと、入学時に配られたパンフをパラパラとめくっていると、文化祭の様子が数ページにわたって紹介されている。そのなかに異彩を放つ「校舎棟3F廊下 漫画・イラスト展 by新聞委員会」の文字。

新聞委員会は文化祭で毎年廊下を占拠して漫画イラスト展を催しているらしい。これは香ばしい

「新聞委員会は年間12回の校内新聞の発行を目標に活動しています。文化祭では毎年、漫画イラスト展を開催しています。1994年度全国高校新聞コンクール銀賞」

正直なところ、ガチガチの進学校の校内新聞など面白さ皆無、義務的に制作された新聞など読むに値しないと決めつけて大見出しを見た瞬間に鞄の中に放り込んでいたのだけれど。気になったので入学式後に配布された校内新聞を読んでみる。

4面刷りのうち、1・2面はどこにでもありそうな校内の催し物を取材した記事だったけれど、3面以降が香ばしい

「教師を斬る」…特徴を捉えすぎた教師のイラストと、斜め上からの視点で教師を徹頭徹尾こき下ろす記事。

「おたっきゐ教授の雑記」…受験勉強には一切関係ない、興味のない人には全く見向きもされないであろうサブカルチャー記事。

「世紀末のvoyage…タイトルだけ見ると世紀末覇者を連想させそうだけど、記者の一風変わった趣味を紹介するコラム記事。なぜかこの時は身近にある毒物(スズランや夾竹桃、ハトのフン)が紹介されていた。ほんと香ばしい、というかアタマおかしい。

なかなかカオスな記事が踊っている。というよりこれを書いた記者や編集者とお友達になりたい。しかも放課後に取材、記事を書いて、レイアウトを決めて…って、なかなか活動的な委員会なのではないだろうか。

これはもしかしたら放課後の暇つぶしにはもってこいかもしれない。私の拙いイラストも役に立つかもしれないし…と新聞委員会に決めたリナ。早速編集会議があるとのことなので、私は放課後に新聞委員会室(編集室)に足を運んだ。そこは6畳ほどの小さな部屋。かつては新聞部だったそうで、部室だったところをそのまま流用しているらしい。そこで私は同じく1年生の芸術(美術)コースのヨネさんと出会う。彼女は初対面からしぶっ飛んだ性格の娘だった。自己紹介時いきなり

「私、同人誌作っているんで、よかったら買ってください

「同人作家なのでイラストはガンガン描きます」

「文化祭のイラスト展は出品数の上限はありますか」

「新聞の1ページ枠くれれば漫画描きます

「彼氏募集中です」

彼女は腐女子ではなかったが、生粋のオタク少女。しかも芸術コースのご多分に漏れず、貧乳ではあったがかなりの美人さん貧乳ではあったが

1年生の他のメンツはいかにも進学校に通っています!という感じの出木杉揃いだったけれど、私とヨネさんは完全に進学校アウトロー的存在(英語・芸術コース)。浮きに浮いていた。だけど、この新聞委員会の委員長が途方もないオタクだったせいか、私たちは委員長に歓迎される。ちなみに彼女、一時は少年エースに漫画描いていたりしていた。現在はデザイン校の講師とも、細々と漫画家をしているともいわれている。全然会ってない…。

ともあれ入学二日目にして腐ってはいないもののオープン同人作家の芸術コースの美人さんとお近づきになれた。わたしも彼女にだけはナオミちゃんのサークルで同人活動をしていることを打ち明け、わたしたちはすぐに意気投合。コンビを組んで新聞製作に携わることになる。

新聞製作はレイアウト作成がキモだ。

見やすく、かつ読みやすい順番に記事をレイアウトされた新聞はマンガに通じるものがある。実際のところ、最初の記事そのものがつまらなくたって、読みやすいレイアウト構成になっていると流し読みで次の記事、そのまた次の記事と人間の目は文字を追ってしまう。

いかに文章が優れた記者の記事も、レイアウトが悪いと読んでもらえないのだ。そんなレイアウト作成班にわたしとヨネさんは回された。多分、漫画描きの我々のセンスに期待を寄せてのことなのだろう。

やってみるとこの新聞製作というやつは意外に面白くて、私とヨネさんは毎日のように委員会室に行くようになった。5月の連休前の時点で、わたしたちはお昼ご飯も委員会室に集まって食べるようになり、気が付くとドップリ新聞委員会依存症になっていた。朝スクールバスが学校に到着してからホームルームが始まるまでの30分間、昼休み、放課後…毎日毎日委員会室で顔を合わせる私たち。それ以外でも芸術コースとは授業が被ることが多い。一日の大半を私はヨネさんと過ごした。そんなその年の夏のある日、事件は起こる

 

放課後に委員会室に行くと、珍しいことにヨネさんしかいなかった。

どうやら委員長はじめ他の委員は夏の総体に向けての各部活動の取材に出かけたそうで、レイアウト班のわたしたちだけが委員会室に居たのだ。

はじめのうちはワープロに向かいお互い背中合わせで作業をしながら取り留めのない話で談笑していたが、30分ほど話すとそのうちヨネさんが無言になってきた。まさか寝たのか、と後ろを振り返るとヨネさんは無表情で私の瞳をじっ、と見つめていた。

 

『ん?』と、私が首を傾げた瞬間のことだった。

 

 

 

 

 

 

むちゅっ

 

 

 

『〇×△□!!!』

 

 

 

チューされました。唇に。

しかも、舌入れられました。

 

 

 

「わたしリナたん好き」

『ふぁっ?!』

 

 

いやいやいやいや、いくら彼女が斜め上を行く存在だったとしても、まさかファーストキスを同性に奪われるとは想定外の事案。

この娘もアタマおかしい国の住人か。

 

『いや、ちょっ、ええ?』

 

もう狼狽えることしかできないわたし。こんなことになるなら星野君が部屋に来た時にこっちから襲っておくべきだった。と思っても時すでに遅し。

どうやらヨネさんは気に入った人が相手なら体面を気にせずすぐキスしちゃう和田アキ子さんのような性格だった模様。

あとから聞いた話では美術コースの美人さん10名全員とキスまではしていたとのこと。まぁ、あの美人さんの輪の中に私も含めてくれたのは嬉しいんだけど、わたしノーマルですから

普通に男の子が好き(男の子同士も好きだけど)ですから。残念。(とかいいながら、ちょっと気持ちよかったのは否定しないけど)

そんな誰かれ構わずチュウしちゃう破天荒遊戯なヨネさん。彼氏がいるという話は聞いたことがなかったし、10人も斬られているので、百合の人かと思っていたのだけれど、どうやら彼氏は図書委員会にこっそり作っていたらしく、そっちはそっちでよろしくやっていたようだ。ただし、彼氏は「高校卒業までは致さないでござる」という不殺の誓いを立てていたようで、それがもととなり半年ほどで別れてしまうのだけれど。彼女はホントぶっ飛んだ人だった。

こういう型にはまらない、規格外のポテンシャルを秘めた人材が日本の様々な業界で活躍するんだろうな、と今は思っている。

 

ところで、ファーストキスの相手が同性で、しかもディープ。なかなかのトラウマ案件ですが、なんだかんだこのあとも卒業までの3年間、幾度となくヨネさんにキスされることになるのだけれど、それはまた別の話。

 

ちなみに、私のファーストキスはカルピスの味がしました

カラダにピース。

 

 

【星野君が好きだった話】

【注意:今回のわななきはいつもと違ってネタがほとんどない駄文ですので、ネタを期待した人はそっと画面を閉じましょう】

 

星野君が好きだった。シャア・アズナブル機動戦士ガンダム)に恋をして、迦楼羅王レイガ天空戦記シュラト)にあこがれて、アナベル・ガトー(機動戦士ガンダム0083)を愛して、吉良朔夜天使禁猟区)に堕とされて、…と二次元の世界に腰までどっぷりはまり(今列挙したシャア以外のキャラクターたちはみんな腐女子の大好物だけど気にしちゃいけない)、現実の男の子ですら掛け算の道具でしかない少女時代を過ごした私が、14歳にして初めてアオハルっぽい気持ちにさせられたのが星野君だ。特に背が高いわけでも顔がいいわけでもない。バスケ部所属だけどスタメンではなかったし、女子の人気があるわけでもなかった。しゃべりがうまいわけでもないし、成績も中の上でバカではないけれどいわゆる「頭のいい」人ではなかった。

家は近所だったけど親同士が仲良いわけでもなく、小学時代なんてまともに口をきいたこともなかった。どこにでもいる平凡な少年。碇シンジみたいな。ただ…ゲームとイラストが上手だった。T君(第2回参照)もゲームは上手かったけど、中性的過ぎてあの人は恋愛対象外だった。

 

katharinars3.hatenablog.com

 

星野君はというと、ゲームのキャラクターをひたすら描くのが好きなタイプで、それこそ画集でも作れるんじゃないかってくらいのイラストのストックがあった。ただひたすらストイックに絵を描き続けていた。

 

彼がイラストレーターを目指しているのを知ったのは、中学2年の文化祭の準備で体育館が使えなくなった数日間のことだった。

 

普段は部活で校舎内にはいない星野君が、夕方まで図書室にいるのを見かけたのだ。うちの学校の図書室は校舎の正面階段を昇ったところ、いわゆる昇降口の目の前に位置しており、通りがかれば誰でも中を覗くことができる風通しのいい部屋だった。

ほかの学校のように校舎の隅っこで人目につかないような湿った場所ではない上に、廊下を挟んで斜め向かいには職員室があったため、めくるめく放課後の情事に使われることもなかったし、訪れる人もほとんどおらず、図書委員も何故かカウンターの中で寝ているという、机の上で何かに集中するにはうってつけの場所だった。

私はというと、ほとんど日替わりで美術室と多目的室、図書室などを私物化して絵を描いたり妄想したり、惰眠を貪っていたりしていた。

その日は美術室が文化祭の準備でほかの学年に占拠されていて、多目的室も演劇の練習をする生徒たちに解放されており、体育館は吹奏楽部のリハーサル、音楽準備室は先輩たちの昼下がりの情事に使われていて(嘘)、私のオアシスが図書室だけになっていた。

図書室の入り口に差し掛かると、窓際の丸テーブルに見覚えのある男子生徒の姿が見えた。星野君だ。珍しく図書室で何をしているのだろう、と後ろから音もなく忍び寄りこっそり覗くと「FF6のティナとセッツァー」のイラストを描いているようだった。え、ナニコレ上手い鉛筆の線画だけでもそこいらの美大生並みに上手い。これは言い過ぎだけど、私が敬愛してやまない絵師小林智美の作品(わからない人は「小林智美ロマサガ」で検索)に系統が似ている。なんてこと。この学校はいかほど絵の好きな生徒がいるのだろう。しかも星野君に至っては先日の美術展には下手くそな絵を提出しているし、小学校時代はサッカー部だったしで完全ノーマーク。例のナオミちゃん(第6楽章参照)くらいの隠しキャラ。こいつの戦闘力は一体どれほどなんだろう。多分新型のスカウターが計測不能でぶっ壊れるくらいの戦闘力を秘めているに違いない。

(けど…こんな繊細な絵を描けるこの人の才能に…憧れちゃうな…。)

『絵、上手いんだね』

気が付くと私は星野君に話しかけていた。誰もいない図書室で急に話しかけられた星野君は、私を痴漢された女子のような目で無言で見返してきた。

しばしの沈黙。

このあと絵に描いたようなアオハルな会話が少しばかりあるのだけれど、あの時は緊張していてうろ覚えな上に、読者様はそんなの読みたくないことと察して、割愛し、結論だけ。

私たちはすぐに意気投合した。好きなゲームや絵師が共通していたし、イラストを描くという共通の趣味もあるしで急速に仲良くなった。

文化祭準備で騒然としている教室を抜けて、私たちは次の日も図書室で待ち合わせてゲームや漫画、イラストレーターについて語り合った。図書室の壁一枚を隔てた廊下は文化祭準備の喧噪であふれかえっていたけれど、私たちには関係なかった。あの空間だけが切り取られて他とはちがう時の流れにいるような錯覚を覚えていた。

今思い返してみても、大人になりたいともがき、だけど大人になり切れていない中学二年のこの時期が一番楽しかったのではないだろうか。

けれど、文化祭が終わってしまえば星野君は部活が再開されるし、美術室や多目的室も解放されるので私は元の自堕落な日常に戻らなくてはならない。

正直、このまま文化祭の準備がずっと続けばいいのに、くらいに思っていた。

そしてその日は来た。

文化祭当日、さすがにサボタージュして図書室というわけにもいかないので、その日一日を暗い気持ちで過ごした。中学高校と6年間でこの年の文化祭ほど記憶に残っていないものはない。なにやら3年生の演劇はコメディタッチのドタバタ学園ものだった気がするが、校内一の美男子と称される先輩が劇中、病院で診察を受けるシーンで、

先生、僕、なんです

と医者役の男の子に美尻を突き出したシーン以外は全く記憶にない。

頭の中は靄がかかったように不鮮明で、明日から星野君と遊べないと思い憂鬱な気持ちで満たされていた。たいていこういう気持ちって時間が少し経てばきれいさっぱりと忘れられるものなのだけれど、振替休日を経て元の日常に戻っても私の心は落ち着きを取り戻さなかった。

その日の放課後も足は勝手に図書室を目指して歩きだし、星野君が居ないことを確認し、文化祭の準備がなんて終わっていることを再認識したときに自分の気持ちに気付いた。

わたしは星野君に恋をしている、と。この時ばかりは腐っていない女子だったね、私は。

とはいえ、特にやることもないし、寧ろ校内に居ても悲しくなるだけなので、仕方なく家路につこうと(私は帰宅部だった)昇降口に向かうと、自分の下駄箱に何やら封筒が放り込まれていることに気付いた。A4サイズの茶封筒で、きっちり封がされている。あて名はない。…はて?訝しみながらもその怪しげな封筒を鞄にしまい、取り敢えず帰宅することにした。

文化祭シーズンが終わると3年生はいよいよ高校受験に向けて準備を始める。私のように帰宅部の下校時刻には3年生の姿が目立つ。中にはカップルと思しき男女が何組かいて、世が世なら末永く爆発しろと言いたくなるところだけど、同時に星野君と自分が同じように歩く姿を想像し、現実と比べてブロークンハートなその時の私の目にはうっすら涙が浮かんでいたと思う。

帰宅しても何もやる気が起きなくて、制服のままベッドに横になり、ボケーっと見慣れた天井を眺めていたけど、ふと下駄箱に放り込まれていた茶封筒を思い出し、開封してみた。

星野君からのお手紙だった

A4用紙の右半分ほどのスペースに手描きのイラスト、左半分が星野君から私に向けた手書きのテキスト。

……文化祭が終わって一緒に遊べなくなってしまうことへのお詫び、図書室での出来事がうれしかったこと、共通の趣味を持つ友達ができてうれしかったこと、その日プレイしたゲームの話……そして、これっきりにしたくないからこの手紙とイラストをかいたこと。できれば返事が欲しいこと。

 

悦びにむせび泣いていた

 

かつてこんなに狂おしい想いをしたことはなかった。ひとしきり泣いて、落ち着いたらすぐさまペンをとり返事をかいていた。こちらも手描きのイラストと手書きのテキスト。とりとめのない話と、私も同じ気持ちでこの手紙を書いているということ。

さすがにあなたが好きです、とは書けなかったから、星野君の絵が本当に好きなことだけ書いて。すべて書き終えると深夜0時を回っていた。このお返事を渡したら星野君はどんな顔をするだろう。

喜んでくれるだろうか、それともまた痴漢に遭った女子のような顔をするだろうか…などと考えているうちに数時間ぶっ続けで書き物をしていた疲れが出たらしく、私は眠りについていた。

 

翌日、私は星野君の下駄箱に封筒を入れておく勇気がなかった。だって、男子の下駄箱に封筒を入れるなんて自殺行為に近い。ハイエナの群れに羊肉を放り投げるようなものだ。万一ほかの生徒に開封されたら、私と星野君の隠してきたアオハルな関係が白日の下にさらされる。

中二の男子生徒なんてそのほとんどが成熟していない子供だ。

面白半分に私と星野君の気持ちを踏みにじるに違いない。

それこそ次々と弟子たちを手にかけていく両刀使いの亀仙人がメインの薄い本のように。

私はあえて放課後を待って、体育棟に向かう星野君を待ち伏せした。

2階へ続く細い外部階段の踊り場で、すれ違いざまに「部活終わったら図書室に会いに来てね」とだけ耳打ちして立ち去った。恥ずかしくて顔も見られなかった。

2時間ほど図書室で時間をつぶすと、校内に部活終了を知らせる放送が流れた。

確か「Up Where We Belong(邦題:愛と青春の旅立ち)」のインストゥルメンタル

果たして、彼は…来てくれた

「はい、昨日のお返事」とだけ言葉を発した私に手渡しで封筒を渡された時の星野君の顔は、多分ずっと忘れない。嬉しそうにも困ったようにも見える少しぎこちない笑顔。捨てられた仔犬みたいな上目遣い。あーもーなんてかわいいんだコンチクショウ。だめだ、わたし、完全に落とされている。

家が近所だったわたしと星野君はその日初めて一緒に下校した。学校から家までの約1キロ、ほぼ無言だったけど。ときめきメモリアルの好感度最高状態の美樹原さん風の下校シーンだった。わからない人は「ときメモ␣美樹原」で検索しよう。

その日から、私と星野君の奇妙な交換日記が始まった。

次の日彼は同じく茶封筒を私に手渡してきた。2枚綴りのイラスト付きお手紙。

私も負けじと2枚つづりで返信…翌日手渡し…といった具合に。

その日あったこと、授業中の話、友達の話、部活の話、好きな漫画の話、好きなゲーム音楽の話、勉強の話etc…。

奇妙な交換日記はそのあと半年ほど続いた。その間は私も薄い本から離れ、我が部屋を所狭しと占拠していた薄い本たちはすべてベッドの下に眠ってもらった。

私は彼にもらった手紙はすべてファイリングして、たまに眺めてニヤニヤしていた。クリスマスもバレンタインもホワイトデーもプレゼントの代わりにちょっと豪華なイラストを交換していた。多分彼だって、私のことを好きでいてくれたと思う。ほんと、後にも先にもこんなにアオハルしていたのはこの時期だけ。

半年間でもらった手紙はA4サイズのファイルブック10冊分ほどの容量となっていた。

 

半年が過ぎた。3年生の1学期が終わり、部活も引退、勉強に本腰を入れるという理由で、次で最後の交換日記だね、という話になったとき、星野君が初めて私の部屋に遊びに来たいと言い出した。部屋に・・・来る??私は舞い上がっていた。小学時代から数えると、男子が我が家に遊びに来ることは初めてではなかったけれど、それはあくまで友達の家にゲームをしに来ていただけに過ぎない。自室にTVを買ってもらえず、ゲームをプレイするなら居間と隣の和室でしかできなかった我が家。当然、自室に男子を入れたことなど一度もなかった。

突然訪問されると困惑するだろうと気を遣い、事前に母上には事の起こりを話した。すると気の狂った我が母君は、娘が彼氏を初めて連れてくると思い込み、大層喜んでいた。尋常じゃないくらい気合を入れて部屋の掃除をしておいてくれたのか、下校して自室に戻ると見違えるほど整頓されたように見える私室。

母も人の親、娘の成長を喜びながら掃除してくれたに違いなかった。ただ、物の配置をいじられすぎて何がどこにあるのかわからないレベルで整理されていたのは問題があるけれど。

お茶とお菓子の用意をして彼の到着を待つ私。もしかしたら密室で二人きりになったことで妙な精神作用が働き、告白でもされるかもしれない。もしかしたら告白どころじゃすまなくなることだってあり得る。ああいけない、妄想が妄想を呼ぶ…。などと一人で悶々としていると、玄関のチャイムが鳴った。

来た!ついに我が部屋に星野君が来た。階段をダッシュで駆け下り玄関ドアを開ける。待ち人来たる。私服の星野君が立っていた。

『いらっしゃい…』

「きちゃった…」

星野君だって緊張しているようだった。そりゃそうだ、私の持つ情報が確かなら彼だって年齢=恋人イナイ歴のはず。あまりガッつかないタイプの彼のことだ。女子の部屋なんて初めてに違いない。けれど、彼も中3の男の子。異性を意識しないことなんてないはずだし、もしかするとこのままリナと接吻のひとつでもぶちかますかもしれないと思えば、お互い緊張して当たり前なのだ。

「お邪魔します」

わたしの部屋へ通すと彼は意外そうな顔をした。

「ものすごい整頓されてる…。毎日イラスト描いてるはずなのにw」

しまった!そうだ、毎日深夜まで絵を描いている私の部屋が、こんなに整頓されているわけがない。盲点だった。

『お母さんがなんか掃除したみたい。わたしも何がどこにあるのか正直わからないやw』

もはや開き直るしかないと思い冗談半分にごまかそうとする私。もはやケーキでも貪らせて話題を変えるしかない。と思った矢先。

「あ、そうだ、この前貸してくれるって言ってたFFmixってCD聴かせてよ」

『エ…』

そういえば交換日記で私が星野君にお勧めして、彼がぜひ聴きたいと云っていたCD、今日貸すお話になっていた…。まずい。どこにあるかわからない。どうしよ。

『あー、お母さんがどこにしまったかわからないな…いつもならコンポのところにあるのに…置いてないし…』

「じゃ、お宝探しだね。さすがにクローゼットとかタンスの中には入れないだろうから、そこのラックかカラーボックスの中じゃないの?」

『エ…』

まぁ、彼は紳士だから、私のタンスの中やらクローゼットの中やらは覗く気など更々なかったのだろうと思いけれど、まだ中学3年生。異性の部屋におけるデリカシーのなさは否定できない。出窓に置かれたCDコンポの横に2段積まれたカラーボックス。彼がその片開戸に手をかけた瞬間、中にあったものが飛び出します。

 

ドサドサドサッ。

 

 

 

「あ」

 

 

『あ』

 

 

 

 

 

 

 

 

【過激な霊長類(幽遊白書薄い本】

 

せめて、何がどこにあるのか私が把握できていればこんなことにはならなかったはずなのだけれど、気の狂った母上がそれこそ狂ったように掃除したおかげで私の薄い本たちは普段ならベッドの下に眠っているのだけれどすべてカラーボックスの中に収納されていた。

ほんと、光の速さで言い訳を考えたけれどいい案は浮かばず、薄れゆく意識の中で私は思った。

 

ああ、この恋、終わったな、と。

しかもまた、オスとオスの狂宴とともに…

 

 

その後はお察しの通り、沈黙が私の部屋を支配し、1時間も経たぬうちに星野君は帰っていった。その後もなんとなくぎこちない関係のまま時は過ぎていき、高校が離れ離れとなった後、彼と会うことはなかった。

すべては泡沫(うたかた)の夢だったのだ…。

 

 

 

*******

 

そんな泡沫の夢から覚めて20年。昨年、中学校の同窓会が催された。私はあまりそういう集まりには参加しないのだけれど、その年は結婚もしたし、報告することもあろうかと、久々に顔を出した。会いたい顔がいないわけでもない。ナオミちゃんの事前情報によると、星野君も参加するらしい。この女、ほんとに鋭い。

20年の歳月は人間を成長させるし、成熟させる。けれど、古い仲間の再会というのは20年の歳月を飛び越えて私たちを中学時代へと連れて行ってくれる。

実に20年ぶりに星野君に会うと思うとやはり胸が痛んだ

あの後ぎこちなくなっていたけど、実際のところ彼はどう思ったのだろう。わたしのちょっと切なすぎる初恋の人。イラストレーターにもなれて、きっととっくに結婚していて、かわいい奥さんと子供たち、慎ましやかだけど幸せな中流家庭を築いているに違いない…。今ならあの時の話を笑い話にすることができるのだろうか…。などと悶々としながら会場で待っていると

「オー星野!」という男子の歓声が聞こえ、反射的にそちらを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若かりし頃の高木ブーさんがそこに居た。

雷様を演じているときのブーさんが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのとき、私は思ったね。

ああ、この恋終わった(2度目)…と。

 

 

【瞬間、心腐れて】

これは薄い書物を読み耽るだけだったわたしが、読むだけでは飽き足らなくなってしまった頃のお話。

 

それはまさに青天の霹靂。当時のわたしにはあまりにも唐突で、残酷な現実。

 

ゆかりちゃん(第4章後編参照)とともに腐り道に落ちた私に、思いもかけない出来事が降りかかりました。腐女子として覚醒した小学4年生の3学期末。私は両親に転校を伴う引っ越しの話をされます。

時はバブル末期、うちの父上は念願のマイホームを手に入れました。分譲ではあるけれど、庭付き一戸建て。同市内の外れにある広大なリゾーン。いわゆる新興住宅街というやつです。

本当は前年夏に購入は終わっていたのだけれども、年度の途中で転校を強いられるリナの心中を慮って、年度末に引っ越しを設定した両親。ちょうど弟も来年度から小学1年生となるし、タイミングは今しかないと思ってのことだったそうですが、薄い本談義ができる友達がゆかりちゃんと保健医しかいなかった私は当時それなりに落ち込んでいました。とはいえ、新しい学校に行けばあらたな戦友に出会えるかもしれない。そう自分に言い聞かせ、小学5年生の春から新しい学校に通うことになりました(ちなみに保険医からは餞別にBL小説3冊セットもらいました。アタマおかしい)。

 

転校初日、担任から自己紹介を促され、まさかやおい本を読むのが趣味とはいえず、「趣味は読書です」などと当たり障りのない挨拶をかわし、好奇の目で私を見る連中の様子を伺います。

 

「なんだこいつら」

 

が第一印象でした。学生時代に新興住宅街に引っ越し経験がある人ならわかるかもしれませんが、県内からいろんな人が集まるのが当時の新興住宅街でした。

育ってきた環境も違うし、地元愛みたいなものも皆無。とくに私の学校など開校2年目。言ってしまえば、転校生だけで構成された学校なのです。

転校を伴わないで6年間同じ小学校に通えば、仲良しグループ派閥のようなものが構成されて、大なり小なり諍いが生ずるものですが、ここにはそれがない。全員が転校生だからなのか、みんながみんな仲がいい。いじめなんか皆無。妙にフレンドリー。全員がキラキラしてやがりました。眩しい…眩しすぎる

腐女子というダークサイドに堕ちてしまっていた私には、屈託の全くない彼らの笑顔が眩しすぎて目を背けることしかできませんでした。

この先が思いやられる展開。この中から薄い本談義に花を咲かせる戦友を探すのは無理なんじゃなかろうか…。初日にしてそう思わされました。こんなことなら両親と離れ離れになってもスラム街のようなあの町に祖父母と住んでいればよかった(以前は祖父母の家に間借りして住んでいた)。などと悶々としているうちに、その年のクラブ活動を決めるアンケートが担任から配られます。前の学校では文化部が吹奏楽部しかなかったため仕方なくミニバス部にいたリナ(ほとんど見学)。今度の学校はどんなクラブがあるのかな、と一通り目を通していくと、文化部のラストに燦然と輝く文字が。

「漫画・イラストクラブ」

もうね、音速でここのクラブに決めていましたね。活動内容とかどうでもいい。活動と称して薄い本を校内で読み耽る背徳感、たまらん。何なら同じクラブに入った女子を腐らせて、ゾンビーズでも結成してやればいい…と、毎週水曜日の6時間目(クラブ)が楽しみになります。

そして待ちに待ったクラブ活動初日。ワクテカしながら教室に移動すると、期待とは裏腹に実際のところは女子部員が3人しかおらず、漫画読みたいだけの男子が15人という逆ハーレム状態。

のちのカタリナであればそこで逞しく男子たちを使って掛け算でもしそうなものですが、そのころはまだヒヨっ子。すみっこに追いやられてこそこそ薄い本を読んでいるのでした。しばらくは本を一時間読むだけのよくわからない活動が続きますが、ある日、いつもなら放置するだけの怠慢な担当の教師が黒板の前でのたまいます。

「来月の児童集会で、クラブの活動発表をします。ただ読んでいるだけです、とはいえませんから、皆さんの力作を描いて発表して全校児童を驚かせてあげましょう」

…描く?それまで読み専だったのに、突然部員全員に描くことを強要する教師。そりゃ、リナだっていっぱしのオタクですから、多少の絵の心得くらいはあるけれど、他人様に見せびらかすほどの絵なんて描いたことないです。まして、私の好みの絵って、オスとオスのわななきあいです。さすがに全校児童の前で腐女子炸裂させるわけにもいかない…と、その日からひと月の間、懸命に大衆受けするイラストの勉強をするリナ。何とか図1)くらいのイラストを完成させ事なきを得ます。この時にイラストを描くことに楽しさを見出してしまったリナ。クラブでは当たり障りのないイラストを、帰宅してからは腐ったイラストを…とこの後数年間はゲームしている時間以外はずーっとイラストを描いていました。上達はしませんでしたけど。

当然、6年生になっても同じクラブでイラスト三昧。残念ながら腐ったお友達は作ることができませんでしたが、下手くそながらも絵を描くことに無上の喜びを見出してしまったわたしは中学校に入学してもひたすらゲームとイラストレーション。二次元に恋をしたまま、ろくな恋愛もせず大人になったらどうなるのか…さすがに気の狂ったウチの両親も将来を心配していましたね。まぁ、私の方はというとその辺の女学生よりもはるかにディープな世界を知っていたのですけれど。

 ***

中学2年ともなると中二病真っ盛りになるのがオタク少女の宿星。その年の美術の授業は病んだ少女全開でしてね。その年から美術の先生が若い女性に変わったのですが、新任教師といっても過言ではないくらい若い女性。最初の授業からカオスな展開が待っています。4月から6月にかけてのテーマは「自己表現」。この曖昧なテーマで好きな絵を描けとほざきます。自分の好きな風景を描くもよし、ダリの抽象画のような奇をてらったものもよし。自画像でも、大事な人の肖像でもよし。自分の内面を自由に表現しよう、と。さて、困った。いっそオスとオスのわななきあいを提出してやろうかとも思いましたが、やはりそこは学生。倫理的にもアウトな内容を成績に直結する作品のテーマにするのは憚られます。

仕方ない、ここは本気で風景画の一つでも提出してお茶を濁そう。と、学校帰りの帰り道に見える夕暮れ時の風景を絵にします。わざわざ美術の授業のある前日にはスケッチに行き、授業では彩色する。どこにでもありそうな、まわりを緑に囲まれた大きな池とそこに浮かぶ小島、池の向こうの小高い丘には学校が見えるという水彩画でした。私の深層心理にはこんな風景これっぽっちもなかったけれど。

スパイスとして、

遠くの遊歩道を散歩するカップルは二人とも男にしておきましたけれど。

で、ともあれ作品を提出。すると若い美術教師は大層その絵を気に入ったようでその年の市の文化展覧会に出品しやがります。「まぁ、どうせどこにでもあるような風景画だし、私如きの画力じゃ誰もじっくり見ずに素通りするだろうし、放っておこう」と高をくくっていたのですが、事件が起こります。

教育委員会賞を受賞しました(‘Д’)

いや、お前たち本当にこの絵きちんと見たのか?モカップルが道を歩いているような絵だぞ。わかっていてこんな賞をくれちゃったのか?そうだとしたらほんと審査員のアタマおかしいと思う。市の美術館に飾られちゃったよ、ホモップルが描かれた絵が。そりゃ池の向こうの遊歩道だからちゃんとみないと男同士ってわからないけど、明らかに違和感あるでしょう。アリエナイ。

教育委員会の奴らと市の美術部員の連中は完全にアタマおかしい

そんなこんなで、私が描いた(ホモップルが遠くに見える)学校帰りの風景」は目出度く一か月間美術館に飾られることになり、学校で教師に受賞おめでとうと言われるたびに顔から火が出るほど恥ずかしい思いをする羽目になったのでした。マジであの美術教師アタマおかしい。

 

そんな私のトラウマ全開の風景を見て、ホモップルに気づいた人物がひとりだけいます。

「ねぇ…リナちゃんって…ホモ…好き?(ボソッ)」

『?!』

たまたま授業でペアワークを組んだナオミちゃんです。目の肥えた審美員や美術教師ですら気づかなかったホモップルに気づいたこの女、只者じゃない…

この子、小学時代はミニバス部で活躍していた活発な子で友達も多いし、なによりおしゃべりが大好き。彼女の周りは女子も男子も集まっていて、小さなうわさもこの子の耳に入れば5000倍には拡張して発信される歩く拡声器です。この子にやおい好きなんて知られたら、学年中にわたしの嗜好が知れ渡ってしまう…。

『いや…まぁ…』

「ねぇ、好き?」

ここで、別に好きじゃない、などと言ったところで、この女はわたしの描いたホモップルに気づいてこんな質問をしてきているに違いない。嘘つき呼ばわりされて、学年中に嘘つきのレッテルを貼られるのは避けたい…。どうするリナ…。

しばらく思案してから私の口から出た言葉は

『うん…まぁ…好き…かな』

終わった。私の中学生活。ホモ好きの異常者のレッテルを貼られ、卒業まで変態呼ばわりされるに違いない。男たちの狂宴とともに

 

しかし、予想に反して彼女の次の言葉は

やおい好きなんだね?」でした。

やおいだと…。「やおい(ヤマなし落ちなし意味なし)」なんて単語を知っているのは堅気の人間ではありません。……まさか、この女、腐ってる?

そう、彼女も腐り堕ちていました。しかも私より数段上の腐り方。

彼女、二次創作活動していました(白目)。

なんか福島のお友達とサークルまで作って、年二回ほど都内のイベントでグッズ販売までしているようです。ただし、グッズの方はやおいではなくて、健全な二次創作物。FFやらDQやらのキャラクターをモチーフにした便箋や封筒を作っては販売していたそうです。

小学5年生からずっと同じクラスだったのに今まで知らなかった…ということは隠れオタク。まさか、身近にこんな人が隠れていたなんて・・・。どうやら彼女はずっと私と話す機会を伺っていたようです。というより、サークルに私を勧誘するタイミングを虎視眈々と狙っていたようです。小学生のころからイラストを描き続けている私をみて様子をうかがっているときに、あのホモップルの絵を見てしまい、いてもたってもいられなくなったという…。

「わたしたち、運命共同体だね」

この後私は彼女のサークルになかば強引に入れられ、高校入学後、ナオミちゃんに彼氏ができるまでの間、創作活動を共にすることとなるのでした…。それにしても、60人しかいない学年に腐女子が二人もいたとは…。世の中狭い。まぁ、彼女とはホモの嗜好があまり合わなかったので、腐った創作物は世に出ていないのがせめてもの救いか…。

 

戯れに自身の変わった嗜好を人さまの目につくところに置くもんじゃない…と反省したリナでした。

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図1)昼休みに2分で描いた。