レジデント・オブ・イービル(前編)
私は彼を子供のころからホモだと思っていた。
全く女子に興味を示さない。それどころか、それまで男子とニコニコと遊んでいたにもかかわらず、女子が近付いただけであからさまな嫌悪感を表情に出すのだ。
「俺に近寄るんじゃねぇ」と幼少期の彼の眼は語っていた。もはや、女子が苦手とかそういうレベルの話ではなく、彼の場合はヒトのメスは敵だったと思う。男の敵。男の子はみんな友達。女の子は人類の敵。そんな妄執に駆られていたのだ。まだ腐っていなかった頃の私は彼の異常なまでの女子嫌いに、こう結論付けていた。あの子はホモだと。
誰かといえば、隠すほどの事ではないけれど、我が弟の事だ。4歳離れた私の弟。
女児が生まれやすい家系である我が家の待望の長男というやつだ。
過去のわななきを読み返せばそのうち登場すると思うけど、ガンダムにドハマりして女子らしくない育ち方を懸念されていた私を、すべての元凶である父の元から引き剥がして、代わりに生贄として差し出された(生み出された)というのが、弟がこの世に生を受けた理由だ。母にしてみればメシアに見えたことだろう。
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父により英才教育(ヲタクの情操教育)を施された我が弟、小学校に通う頃にはすっかりインドア派の引きこもり体質になっていた。
幼稚園児のころも狭いコミュニティで遊んでいたようだし、話を聞いても友達3人しかいなかった模様。
心を開いた女子って、母と私だけなんじゃないだろうか。
一歩育て方間違えたら34歳無職ニートとかになって家を追い出された日にダンプに轢かれて異世界転生とかしちゃいそうな勢いの、それはそれは暗い少年だった。
熱心なわななきすと諸氏諸兄ならばご存知の通り、私は小学4年生までを祖母の家で過ごし、そこで頭のイカレタ保健医に開発され腐女子となった。5年生の春から今の実家がある新興住宅街の小学校に通うのだが、弟はそのとき小学1年生。
生活環境も激変し、ここからならまだ間に合う、と母も期待していたのだ。つまり、幼稚園に通う3年間ですっかり女子嫌いになってしまった弟をまっとうな道に戻すには今しかない、と思っていたようだった。
けれど、時すでに遅かった。
***
ある日私は学級の用事で1年生の教室に行かなければならなかった。1年生といえば我が弟がいる学年ではないか。そうだ、ここはひとつヤツの学校生活を覗いてやろう、と思いワクテカしながら足を運んだのだけれど、そこで観たものは目を覆いたくなるような現実だった。
うちの弟が女の子を泣かしている。しかも物理で。
具体的に言うと壁ドンしてた。悪い意味で。
うちの弟は、姉のわたしがいうのもなんだけれど、少々頭がおかしい。
口数は少ないし、趣味はTVゲームだけだし、外では遊ばないし、女子が嫌いなホモだ。けれど、善悪の区別がつかぬほどバカじゃないし、相手の嫌がることを積極的に行うような害人ではない。
うちの父も頭はおかしいけれど、子供たちには幼いころから善悪の区別について熱心に躾けていたように思う。
ところが、その時わたしの目の前にあった光景は、そんな父の熱意を嘲笑うかのように鎮座しておられた。弟は今にもその女の子の首を絞めそうな勢いだ。
『何やってんだコラァ!!』
私は咄嗟に弟に駆け寄り、その横腹を蹴り飛ばした。ヤクザキックで。
(ヤクザキック)
当時小柄だった弟は2メートルくらい飛んだ。やりすぎだった。
突然の闖入者に騒然とする1年生の教室。
吹っ飛ばされた弟に駆け寄る同級生たち。
何が起きたのか分からず、一瞬で泣き止んだ女の子。
私は女の子に歩み寄りハンカチで涙を拭いてあげた。
温厚かは知らないが少なくとも大人しいうちの愚弟があそこまで激昂するには必ず理由があるはずだ。私はその女の子に事情を聞いてみた。
今度は我が耳を疑ったね。
「私は弟くんのことが好きっていったら弟くんが怒った」
まだ倒れている弟にトドメを刺したくなったね。ジーザス。
何ということは無い。この子はうちの愚弟に恋をしてしまって、漫画の見過ぎかドラマの見過ぎか知らんけど、小学1年にして告白なんぞしたらしいのだ。
可愛らしいやらアホらしいやら。
確かにうちの弟はひいき目を抜きにしてもまぁまぁイケメンですよ。まつ毛なんか1㎝くらいの長さあるし、キレイな二重瞼で、線も細い。
コイツが弟じゃなかったら、と思ったこともありますよ、ええ。
確かに、普通の女の子から見たらカッコイイわな。
ただね、そいつホモですよ多分。
そんな話を聞いていると、クラス内にうちの愚弟が好きな子は何人もいるらしい。もともと無口な性分だからな、黙っていればミステリアスな魅力みたいなのを感じられるのかもしれん。でもね、そいつホモだから、多分。あきらめた方がいい。
女の子側の事情は分かった。乙女チックなお話だったわけだ。聞くんじゃなかった。くそっ。
次に私は肝心の愚弟の話を聞くことにした。
女の子には努めて優しく接したが、こいつには遠慮も慈悲も必要ない。床に座り半泣きの弟の襟首を掴み廊下に引きずり出してから事情を聞く。大体予想はつくけど。
***
やっぱり聞くんじゃなかった。
要約すると、僕は男の子が好き。女の子が嫌い。好きとか言われても気持ち悪さしかなかったので泣かせてやろうと思った。
アカン。いつの間にか、こいつ本物のホモになっていたようです。
その頃は私も新天地で腐った会話をできる仲間探しをするくらいには腐女子だったので、目の前にガチホモが現れたことにニヤケそうになりますが、まぁ、こいつじゃ萌えません。却下です。キテレツ大却下。
さすがに姉としては、まず最初は普通に恋愛してほしいし、長男で我が家で唯一の男児がホモとか笑えない展開になりそう。
多分、幼稚園児のころからこのようにメスをホイホイしているうちにウンザリして今に至るんだろうな、と予想。
女の子は思春期にオトコ嫌いになる人が多い。
歪んだ潔癖症というか、男性不信というか、オトコの視線に耐えられなくなるというか、とにかくそういう女子は多い。
オトコ嫌いなのは構わないけれど、自分の殻に閉じこもって恋愛をすることを拒絶し続けるか、自ら殻を破って美しく孵化するか。つまりオトコ嫌いが一過性のものか、持続性のものなのか。
そのどちらなのかでその後の人生が変わるのだけれど、殆どの女子は一過性のものだ。
私はというと小学4年生から倒錯した世界を見てきているからなのか知らないけれど、そういう時期は来なかった。相手も来なかったけれど。多分貧乳のせいだろう。ガッデム。
で、きっと弟のも一過性のものだろうと思い込むことにした。
ホモは女の子が嫌いなのではなく、単に男子が好きなだけだ。
女子に拒絶反応を見せる弟は、きっと一過性だろう、と。
まぁ、彼の女子嫌いはこの後も数年続くので、ひとことに「一過性」で片付けられなかったのはまた、別の話。
で、前置きはこの辺までにしておこう。まぁ、うちの弟はこういう少年時代を過ごしたということだけでも覚えておいてほしい。
***
これは彼が高校を卒業するころの話。
何の因果か、弟は私と同じ高校に通い、しかも英語コースに在籍という、私と全く同じ道をたどっていた。あの英語コースというところは本当に実用英語に力を入れていたので、コミュニケーション能力のない(というかかなりヒッキーな性格の)弟が無事に卒業できるのか母はかなり気にしていた。
私はその頃はもう大学生活を謳歌すべく実家を出て暮らしていたし、何故か弟とも会話しなくなっていたので、正直なところ彼がどんな人生を歩むかも興味がなくなっていた。
英語コースには修学旅行というものがない。
普通コースと芸術コースの面々は伝統的に京都・奈良・大阪という一般的な修学旅行コースをたどるのだけれど、私たちにはそれがなかった。
その代わり、夏休みを利用してオーストラリア短期留学をすることになっていた。大体ひと月くらいかな。
前半はブリスベンの有名大学の外国人留学者専用の寮に入り、留学生たちと寝食を共にする。昼間は特別にカリキュラムを組まれた短期留学生向けの講義に参加し、全日程修了時にはこの大学の短期留学カリキュラム修了証までもらえる。
これ、普通の高校生じゃ絶対にもらえないからね。いまでも私や弟の宝物だと思う。
で、後半は公募したホームステイ先にそれぞれソロで放り込まれてそこから自力で(バスや電車といった公共の交通機関を使って)大学に通う。
私は9歳と5歳の男の子がいるご家庭にお世話になり、有意義に後半を過ごした。ぶっちゃけそこの子供が64にハマっていたので一緒に遊んでただけなんだけど。まぁ、わたしの話はどうでもいい。
弟もご多分に漏れず、後半はホームステイして過ごしたのだけれど、彼はその頃でもむっつりホモだったようだ。といっても昔のように女子を毛嫌いするわけではなく、少し殻を破ったのか知らないが、女子苦手程度のレベルにまでは達していたらしい。
そこで、彼のホームステイ先ですよ。弟が放り込まれたご家庭には弟と同学年の女子高生がひとり居た。名前は確かジェシカちゃんだったと思う。
弟の持っていた写真を見せてもらったことがあるけれど、ブロンドの髪の美少女だ。普通にカワイイ。しかも巨乳。
日本だったら「男女七歳にして同衾せず」なんて言って選考から外れそうなものだけれど、そこはオーストラリア。広大な大陸丸々一つの国家。国民も大らかだ。
かくしてうちのホモ疑惑の弟は同年齢の金髪美少女と2週間ものあいだ寝食を共にすることになった。
その間に何が行われたのかは、想像に難くないと思うので端的に。
彼は男になった。ヤっちまった。
(ヤっちまった)
帰国した彼は人が変わったようだった。担任(この人も私と同じ担任)の話じゃ、それまで女子とあまり打ち解けていなかったようだけれど、短期留学を通してコミュニケーション力を身に着けた、らしい。
わたしからみたら、男の子の劣情が彼を変えたんだと思うけどな。
男になった愚弟はそれまで溜めていた何かを吐き出すように没頭することになる。
何にって?
ナニだよ、ナニ。
何故そんなことがわかるのかというと、理由はこうだ。
お盆だったか、正月だったか覚えていないけど、実家に帰省した時に彼の部屋に入ったことがある。
恥ずかしながら私は中学3年になった頃から弟に避けられていて、年間で一言二言しか会話していなかった。
貧しいとはいえ、外から見て解る程度には胸が膨らんでいたからだと思うが、ホモの彼には私が嫌悪の対象だったのだろうと思っている。
で、当然彼の部屋になんて数年間入ったことなどなかったのだけれど、確か母に言われて、弟の不在を見計らって部屋の換気をすべく窓とカーテンを開けてこいと言われたんだと記憶している。
入室すると、空気が薄汚れているように感じた。というか、臭い。
言われた通りにカーテンを開け、窓を全開にする。薄暗い部屋に陽の光が入る。そこで私は部屋のニオイの元凶を特定した。彼のベッドの上に転がっている書籍が目に入ったのだ。
「メガストア」
「快楽天」
「MUJIN」
まぁ、エロコミックですよ。
健全な男子ならば一度は通る道だとうちの旦那も言ってた。
ただね、弟の場合は冊数が半端なかった。週刊誌なのか月刊誌なのか知らないけれど、よく見ると部屋の中に山積みになっていた。弟の狂気を感じた。
『うわぁ…(白目)』
まさに、うわぁ、ですよ。
少し前までホモ疑惑を懸けられていた弟が、今度は肉欲の権化みたいになっていてショックを隠せなかった。
あとから入ってきた妹(実はいたんだよ、妹)は、道端のゲロか、酔っぱらってガードレールに頭を突っ込んで寝ている新宿のオッサンでも見るかのような蔑んだ目でその光景を見ていた。
(酔っ払い)
どうやら弟は、そこに至るまでに鬱積した劣情を晴らすがごとく魔人になってしまったらしい。ナニ魔人に。
今から16年ほど前の話だけれど、長男がホモではなかったという安心感と引き換えに、なにか大切なものを失った気がするカタリナ20歳のことである。
【次回予告】
ナニ魔人になってしまった弟。男にしてくれたジェシカは遠くオーストラリアの空の下。劣情をセルフで処理し続けること1年。大学に入学した彼の前に、劣情を晴らせてくれる女子大生が現れる。初めてできた恋人に歓喜する弟。翻弄する相手の女。4年間で築き上げた男女の恋情は、やがて母を怒りのアフガンへと変貌させる。次回、わななき「レジデント・オブ・イービル(中編)」。邦題「バイオハザード」。さぁて、来週もサービスサービスゥ。