レジデンス・オブ・イービル(中編)
(前回までのあらすじ)
弟(ホモ疑惑)、オーストラリアで男になる。ぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺ。
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このお話のタイトル(邦題)はバイオハザードなんですが、これ、皆さんの良く知っているCAPCOMのあのゲームに由来しています。ゾンビゲーです。
何故、「弟はホモだったが、今はナニ魔人」という話からゾンビが出てくる話に繋がるのかというのが今回の本筋です。
かつて、わななきアンケート「今後読みたい話」でうちの父と人気を二分したのが弟を主役にした話だったのですが、キチガイオヤジの方が登場済みで扱いやすかった為、弟の話にはほとんど触れてこなかったのです。
また、弟にまつわる話は全年齢対象にならない事案が多すぎるため、私が避けていたというのもあるのですが、気が付けば連載開始から半年が経過し(はてなブログでは二週間)、季節は夏真っ盛り(2018年8月6日現在。外気温36度)。
夏といえばホラー。ホラーといえばバイオハザード。バイオハザードといえばゾンビ。ゾンビといえばうちの弟。
という何とも安直な連想により今回のお話を執筆する運びとなりました。
なお、このお話は極めて不快な描写や残酷なシーンが含まれますが、閲覧は自己責任でお願いします。それでもかまわないという真のわななきすとたちは、続きをお楽しみください。
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ナニ魔人となったうちの弟は、その青春エネルギーのほぼすべてをナニに使っていたのだと思う。
積み上げられたエロ雑誌の冊数からしても、ゴミ箱の中身にしても、常軌を逸していたというのが私の感想だ。後ろにいた妹はその空間に居ることすら苦痛のようで、気が付いたら居なくなっていた。
弟に階級を与えるとしたら准将くらいが妥当だと思う。ナニ准将。
まぁ、私もエロチシズムは概ね好物だったので、エロマンガ雑誌の一冊を何気なく手に取りパラパラとめくってみた。別に普通のエロ漫画だ。ぶっちゃけていうと亀仙人が出てくる薄い本や、ドラクエ4の薄い本(いずれもカタリナ所有)の方がよっぽどエロい。まぁ、わたしのことはどうでもいい。
生まれてからジェシカと致してしまうまでの約16年間、放たれたことのない劣情がそうさせたのか、オンナ嫌いグラフが反転して大好きに振れてしまったのか定かではないけれど、この時は私も弟の内に秘めた狂気を感じた。
katharinars3.hatenablog.com
この日以来、私は弟とろくに会話することもなく月日が流れてゆく。
***
6年の月日が流れた。弟は大学を卒業して、浪人することもなく就職したという話だけ母から聞いていた。当時私はというと、今の旦那と同棲し始めて、正直なところ実家のことなどそれほど顧みていなかったため、弟のことなど1ミリも気にかけていなかったのだ。
就職氷河期と言われている平成大不況の時代に就職浪人することなく職に就けているのだから問題ないじゃないか。それくらいにしか思っていなかった。
ある夏の午後。外はうだるような暑さ。夜勤で働いていた私は、その日は冷房の効いた室内で旦那と寝ていた。傍らには良太郎(猫)が身体を丸くして寝息を立てており、時折旦那の手が私の貧乳に伸びてくるのを抓ったりしながら微睡んでいたのだ。
携帯電話の着信音がけたたましく鳴る。夢うつつにディスプレイを見ると「母」の文字。
母が私に連絡してくるのは珍しい。身内に不幸でもあったのだろうか。一瞬いやな予感がした。
「はいはい?」
「あ、お姉ちゃん?今大丈夫?」
いつもの母だ。切羽詰まった様子は特に感じない。
「んー、まぁ夜勤明けで寝てたけど平気。どうかしたの?」
「ああ、ごめんね。起こしちゃったね。えーと、あのね、次のお休みに一緒に私と水戸に行ってほしいんだけど」
「へ?」
水戸というのは茨城県の水戸市の事だろうか。納豆で有名な、黄門様で有名なあの水戸市の事だろうか。何ゆえに?
「いや、え?いいけど、水戸に何しに行くの?旅行?」
半ば寝ぼけていた私の頭では情報を整理して受け答えすることができない。
「違うのよ、実はね…」
母の話の内容はこうだった。私も母も長話が好きな故に、時系列が飛び飛びになることが多いので、会話は省き時系列に沿ってお話しする。
一年半前。弟の大学の卒業式に母が出席した時の事だ。
式も終わり、謝恩パーティが催される中、母は弟から一人の女性を紹介される。
弟と同じゼミ生でひとつ年上の女性だ。派手な顔立ちの女だったそうな。物腰はまぁまぁ柔らかく、一見すると普通のお嬢さんのようだったと母は言う。名はヒカルというらしい。母が驚いたのは弟が放った次の一言である。
「ヒカルの実家、水戸なんだけど、就職先も地元なんだよね。だから俺も水戸に行くから」
母は目が点になって絶句したという。
そう、この時点では弟は就職先など決まっていなかったそうなのだ。いや、もしかしたら内定の一つくらい取れていたのかもしれないが、都内か千葉県内か知らないが、このヒカルと離れるのが嫌で蹴ったのだ。そして、彼女の実家にほど近い地で就職先を見つけようというのだ。
弟のあまりの愚かな選択に、めでたい場であるはずのその空間を重苦しい雰囲気が支配していた。
「うわー、うちの弟、オンナの事になると盲目まっしぐらなのね。っていうか、その女と添い遂げる気なのかもしれないけど、問題は相手がどう思っているかじゃない?」
私はそこまで聞いて母に思ったことを投げかけてみた。
実際、相手もうちの元ホモと結婚まで考えているのであれば問題なくもないが、その気もないのに実家の近くに陣取られたりしたら不気味じゃないだろうか。わたしならいやだな。
「そこがまた問題なのよ」
母が続ける。
あの愚弟、すでに部屋まで決めて引越しの段取りまで付けてしまっていたのだ。卒業後3日ほどで実家を出ていくと宣う弟。もはや止めるすべはなかった。しかし、引っ越し費用にしても家財道具にしても、サクッと出せるほど弟が貯蓄しているはずがなかった。
ファミリーマートで夜勤のアルバイトをしていたが、キングど田舎シティのアルバイト賃金などたかが知れている。
姉が出て行ったあと、好き勝手に振る舞い、毎月何本もゲームソフトを買っていたような弟が貯蓄なんてしているわけがないのだ。
訝しんで母が突っ込むと、悪びれる様子もなく愚弟がゲロった。その一言が母を怒りのアフガンへと変貌させてしまうとも知らずに。
借りたアパートは敷金ひと月分・礼金なしで格安の6畳ワンルーム。バイト代でどうにでもなった。実家から持っていくものは服だけで、他の荷物は置いていく。布団一式?ヒカルの実家がくれた。必要な家財道具は向こうで買い足す。その費用?ヒカルの実家が出してくれる。
(怒りのアフガン)
母は心底、腸の煮えくり返る思いがしただろう。両親には何の相談もなく決まっていたこと。ほぼ事後承諾となっていたこと。そして何より、相手の実家に金銭的なものも含めて相当の借りを作ってのスタートだということ。
どうやらヒカルの実家というのはかなりのお金持ちらしく、ベンツを軽トラックかのような感覚で扱っているようだった。
母が一番気に食わないのは布団一式をプレゼントされたという部分だ。
「布団一式なんてうちから持っていけば済むことなのに、相手の実家が出すなんて尋常じゃないわよ。確信はないんだけど、婿養子にでも取ろうとしてるんじゃないかしら」
家に帰った母は、何度も弟を説得しようと試みたが弟は頑としてそれを受け入れなかった。
父はというと、男が決めたものだから一回くらい挫折して帰ってくるくらいが丁度いい、とか訳の分からないことを言って放任主義全開だったそうで話にならない。ほんとアタマおかしい。
喜んでいたのはここ20年間まともに口をきいたことがない妹だけだったそうだ。
かくして、弟は実家を出て水戸市で暮らすこととなった。程なくして水戸市内の個別指導塾のマネージャーとして就職した、と母に連絡があった。
ここまでが1年半前のことだ。
「でね、去年はお盆に帰って来たんだけど、今年は正月も帰ってこなかったし、こっちから電話しても繋がらないのよ。お盆も帰ってくるかわからないし。どうしようかなって思っていたところに、ヒカルから手紙が来たのよ。うちに」
「ヒカルから?実家に?」
「しかもね、書いてある内容がおかしいのよ」
「どゆこと?」
「……弟君から連絡があったら、私に連絡していただけるようにお伝えください」
「え?」
この1年半の間に、弟とヒカルは別れていた。大学1年の頃から付き合いだして4年間喧嘩することなく歩んできたのに、いざ大学を卒業して半同棲状態になった途端に破局。
手紙からでは詳細なことは何一つわからないが、とにかく別れたらしい。
問題は、弟に連絡が取れないという部分だった。女にフラれたくらいで、と思われる向きもあるかとは思うが、うちの弟はもともとコミュ障の元ホモだ。ジェシカと致してしまってからは多少コミュニケーションできるようになったようだが、元来持つ性質はかなり陰鬱なやつなのだ。女にフラれたくらいでも病気になれる弱っちい人間なのだ。
とはいえ、ヒカルに固執して水戸で暮らすようになったのならば、ヒカルにフラれた今、水戸に残る理由はない。弟をキングど田舎シティに連れ戻すチャンスだ。
無職になるのは残念だが、地元で再就職したらいい。婿養子に取られる結末よりは随分マシだと母は考えたらしい。弟のアパートの住所はわかっている。直接突撃して、少し強引にでも連れて帰ろうというらしいのだけれど、道も分からない上に、知らない道を一人で運転していくのは怖いし心細い。そこで、シルビアS14からデミオスポルトに乗り換えたばかりの元・峠の狼リナに白羽の矢が立ったのだった。
「お姉ちゃんの運転なら安心して乗っていられるし、道中も退屈しないし、弟を強引に引っ張りだすのにも役に立つし」
というのは母の談。
仕方なく私は母に連れ立って水戸市へと赴くことになった。
***
千葉県より北の方とはいえ、夏の暑さは全く変わらない。キングど田舎シティを出発してから水戸に到着するまでの3時間、母は私に積もり積もった愚痴を聞かせ続けていた。この間電話口でこぼしたものとほぼ同じ内容だったけれど、肉声での愚痴はもはやヒカルに対する呪詛のようだったが、もともと明るい性格の母なので時折冗談を挟みつつ、私がうんざりしないように気遣いながらというのも見て取れた。
事前に道を調べておいたおかげか、特に迷うことなく弟の住むとされるアパートにわたしたちは到着した。
途中、山奥の抜け道を通ったり、混み合う国道を避けたり、広域農道を飛ばしたり、とドライブ感覚で運転して、努めて陰鬱な気持ちにならないようにと試みたが、いざ弟の部屋の前まで来ると、母の表情も強張っていた。
弟の部屋は2階の外部階段から見て一番手前の角部屋だ。階下の駐車場を見ると、弟の軽自動車が停まっている。随分薄汚れているが、間違いない。
部屋のドアの前に立ち、母がチャイムを押す。電子式のインターホンではなく、おそらく電池で作動するベル式。
—―反応がない。母が再度ベルを鳴らす。
二度――。
三度――。
私はドアノブに手をかけ回してみた。が、やはり鍵はかかっているようだ。
オンボロではないが、安いアパートだ。中で人が動けば家鳴りがしたり、衣擦れの音が聞こえたりしそうなものだが、部屋からは完全に無音。辺りの蝉の鳴き声しか耳に入らない。
一瞬、弟は出かけているのではないか、とも思ったが、そんなわけはなかった。彼の車が置いてあるからだ。
水戸市は茨城県の中でも栄えている都市だが、弟の部屋がある地域は徒歩圏内にそれといった店もなく、車がなければどこにも行けないレベルだ。奴は中にいる。
しびれを切らしたのか、母が弟の名前を呼びながら扉を叩き始めた。
10分くらいそうしていただろうか。
「おたくさんたちは弟君のご家族の方?」
弟の名を呼ぶ母の声が聞こえたのか、ひとりの老人が階下から外部階段を上がってきていた。彼は大家さんのようだ。アパートの裏手に居を構えていて、家賃は直接手渡しで彼に支払うことになっているらしい。
少し様子がおかしかったので来てみると弟の部屋の前で騒いでいる女が二人。弟の名前を呼んでいる辺り、家族と思って声をかけたとのことだった。
大家さんの話を聞いて、母の表情が再び強張った。
弟は先月分の家賃を滞納していた。先月に、訳あって期限までに支払うことができないが、来月必ず支払うとの口約束をしてあるとのことなのだが、ここ一週間仕事に出かけるところを見ていないという。というのも、大家さんのお宅はこのアパートの真横に隣接していて、車が出入りするところは全て居間から見えるというのだ。ゆえに、弟の車がここ1週間動いていないことからも、弟は職を失ってしまったのではないのだろうか、と心配していたのだそうだ。
母も、こちらから電話をかけてみても出てくれないこと、心配になって様子を見に来たことを伝えた。
私はその横で、最悪の事態を想定していた。
あいつ、死んでるんじゃないだろうか、と。
さすがに母に「死んでると思うよ」とは言えなかったので、「緊急性が高い気がするから大家さんから鍵を借りて扉を開けてしまおう」と提案した。大家さんも快く承諾してくれて鍵を取りに自宅に戻った。
10分もしないうちに彼は鍵をもって現れたが、見知らぬ中年男性を引き連れてきた。
「こちらは?」
「不動産仲介業者の担当さんだよ」
なるほど、不動産屋さんもこの近くにあるらしく、大家さんが気を回して呼んでくれたのだ。
男手があると何かと助かる。グッジョブ大家さん。
持ってきた鍵を鍵穴に差し、ゆっくりと回す。特に抵抗もなくあっさりと鍵は開いた。私はドアノブを回し、普通にドアを引いた。
ガン、という金属音が鳴り、ドアは途中で停止した。内鍵フックが掛けられていた。
つまり、弟は中に居るのだ。
増々、私の嫌な予感が膨れ上がる。必死で中に居るであろう弟に声を投げる母。
事態におろおろし始めた不動産屋さんと大家さん。割と冷静なのは私だけのようだった。
「これ(内鍵)って外から壊せないんですか?緊急事態ですし、壊していいですよね?」
「えっ?あ、そうですね!ちょっと事務所から工具持ってこさせます」
携帯電話を取り出し事務所に掛ける担当者。
程なくして職人風のオジサマが現れる。おそらく不動産事務所付きの内装担当なのだろう。金鋸をつかって内鍵のフック部を切断していく。3分も経たぬうちに内鍵は外れた。
まず最初に大家さんが部屋に入る。
「うわっ」
大家さんの悲鳴が聞こえる。この時点で私の予感は的中したと確信していた。奴は死んでいる。
担当者、私、母の順に部屋に入る。
入室した瞬間、私は絶句した。
ゴミ屋敷だ。見渡す限り足の踏み場もないほどゴミが散乱している。散らばった雑誌、流しに積み重ねられた食器。無造作に床に打ち捨てられているコンビニ弁当の容器。いたるところにペットボトルが転がっている。こんな部屋で過ごせと言われたら私や母ならば半日と持たないだろう。そんなゴミ屋敷だ。
そんなゴミ溜めの中央に、それはあった。
正座して、肩を落とし、頭を深く垂れて微動だにしない弟がそこに居た。
あれだけ外で大騒ぎしていたのにも関わらず、部屋の真ん中で微動だにしない弟。
『あ、ダメだわ、これ死んでるよ…』
もう冷静ではいられなくなって理性が何処かへ行ってしまったのか、私の口から本音がポロリと出てしまった。
「やだ…」
母はその場に膝から崩れ落ちすすり泣きを始めた。
せめて生きてさえいてくれれば、母がこんなになることは無かったのにな。何の相談もなしに、いきなり逝かれたらそりゃお母さんだって耐えられないよ…。
大家さんと不動産屋さんは唖然として立ち尽くしている。
…見ろよ、この有様を。あんたがコレを引き起こしてるんだよ?そう思うと、悲しみより怒りが先に込み上げてきて、私は眼前の死体に話しかけた。
「おい、弟」
「――――っ」
ん?今呼吸音聞こえなかっただろうか。
カーテンが閉められ暗い室内では弟の呼吸による肩の隆起などは見て取れないが、私の耳はヤツの呼吸音を聞いた気がした。
「おい、弟」
呼びかけには無反応だ。
「何とか云えよ、親不孝者」
殴った。グーパンチで側頭部を。
人間は意識していても絶対反応してしまう感覚がある。痛覚だ。
カラダに与えられた衝撃は、脳に伝達される前に体のどこかが反応する。脊髄反射というやつだ。生きている限り、これは止められない。逆を言うと、死んでいれば脊髄反射は起こらない。
果たして、弟は殴られた瞬間、肩を一瞬動かし、加えて衝撃で倒れそうになる体のバランスを持ち直した。
愚弟は生きていた。まぁ、軽く精神が死んでいるようだから、さしずめゾンビってところか。
「お母さん、こいつ生きてるみたいよ。ほぼゾンビだけど」
云いながら私は、カーテンを開け広げた。ガリガリに痩せたゾンビが西日に照らされる。陽の光で砂になるということは無かった。
ああ、ゾンビというより、骨と皮のガラクタだわ。
すぐさま母は駆け寄り弟の名前を呼びながら肩を揺らした。一緒にキングど田舎シティに帰ろう、と。何度も、何度も。
ついには弟の心のダムは決壊したようで、とめどなく涙が溢れ出した。しばらく声も出さずに泣いていた。
「大家さん。申し訳ありませんが、こいつは今日このまま実家に連れて帰りますので、後日改めてご挨拶とお詫びに伺います。滞納しているお家賃に関しましても後日改めてお支払いさせて頂きます。おそらく退去という方向になるかと思いますので、不動屋さんもよろしくお願いします」
私は早口にそれだけを伝え、部屋の隅っこに移動した。
ここでわたしまで泣き崩れたら、収拾がつかなくなる。タバコでも吸って心を落ち着かせたかったのだ。
…泣いてなんか、いないんだからね。
(つづく)