腹黒元副盟主のわななき

フリンテッサ鯖「xxxMZRxxx」血盟所属の腹黒い事務員カタリナのリネとは無関係の駄文集

【脳に仕掛ける時限爆弾(中編)】

(前回までのあらすじ)

リナ、外国語系大学に入っても頭の中はオカルトでいっぱい。ぺぺぺぺぺぺぺぺぺ。
katharinars3.hatenablog.com

 大学2年の春のことだ。通年で選択した講義の中に「哲学」があった。

私の在籍した学科の学科長M教授が受け持つ人気講義で、毎年抽選が行われているほどの倍率。初年度は残念ながら履修できなかったのだけれど、2年目は運よく受講することができた。

この学科長、哲学の教授なのに、何故かまわりの教授陣にはめられて多数決で外国語学部の言語文化学科長の座に就任した可哀そうな人物なのだけれど、超弩級のお人好しに加えて、大の雑談好き。しかも関わった学生のほぼ全員の顔と名前が一致するほどフレンドリーで、学内を歩くと必ず学生に呼び止められて長話を始めてしまい、昼食をとれずに午後の講義に現れてお腹を鳴らしながら教鞭を振るうという実に好感の持てるオジサマだった。

リナの理想の老眼鏡紳士とまではいかないけど、身なりは街の古本屋の主のようなアットホームな服装で、笑顔が絶えず、男女問わず慕われていた。講義が人気の秘密はこの人の人柄にあるのではないだろうか。

M教授は生まれが東京で実家は曹洞宗のお寺京都大学院卒後、後を継ぐのは弟に丸投げして得度せずに学者になってしまうところが自由奔放。で、お寺の息子なだけに、仏教と哲学を絡ませた著書が多数。

ドイツに渡りカント哲学と宗教学を修めたりはしているけど、帰国後の研究テーマは宗教哲学や禅学。

さて肝心の講義は、前期が「愛とはなにか」、後期が「宗教について哲学してみる」。講義とは名ばかりのグループワーク中心。10人ほどのグループでテーマについて毎週ディベートして、出た結論を毎週発表。期末考査はそれぞれのテーマについて自由にレポート提出。

前期のテーマ「愛」。アガペーなんて体の良い題材なんて使わない。当然の如くについて語ったレポートを提出。高校卒業とともに腐女子は卒業していたけど、一風変わったテーマのレポートを提出するためだけに腐り直していたからね。具体的に言うと参考文献として薄い本を数十冊読み返したアタマおかしい。それはもうオスとオスのガチホモバトル。まぁ、なんか知らんけどA評価だったわ。あ、今回はホモォなお話ではなかった。自重。

 

さて、M教授の哲学。後期のテーマ「宗教」は教授の専門分野なもので、講義にも熱が入る。

私たちのグループはというと、土着宗教と山岳信仰、そして立川流に救済を求めた高僧たちについて毎週熱く持論を展開した。周りの学生たちは大雑把に「キリスト教」「仏教」などと、少し調べれば中学生でもわかる内容を凡そ哲学とは関係ない視点で取り上げていたので、リナのいたグループは完全にディープインパクトだった。もはや講義テロだ。どこの大学生が仏教サバトに救いを求める高僧の話をテーマに哲学するだろうか。教授は満足げだったけどほかの学生は引いていたね。うん、うちだけアタマおかしい

そんな仏教のダークサイド思想について考察したリナのレポートは何故かA評価

M教授に「リナは哲学者か宗教学者に向いている」と言わしめたからね。たぶんこの教授もどこかアタマおかしい。加えて「リナが持ってくるテーマは俺の研究室にも欲しいところだけど、S教授の研究室だったらよだれ垂らして欲しがるところやで」と、なんか知らんけどS教授という人物に私を紹介する始末。

誰だよS教授って…とシラバスをよく見返していると、S教授_民俗学」「S教授_文化人類学の文字が。恥ずかしながら、実は私はこの時初めて「民俗学」という単語を知った。「みんぞくがく」って「民族学」かと思っていたのだ。S教授に次年度の講義内容を詳しく聞いてみたらものすごく香ばしい

「宗教と呪い

「民間伝承にある呪いと宮廷における調伏

遠野物語に綴られる日本の原風景と土着信仰」。

なにこれやばい。メインテーマに呪いがふたつも入っている。怪しいニオイがプンプンする。しかも遠野物語って座敷童で有名なあの遠野物語か。くさい。くさすぎる

もう音速でS教授に次年度絶対に履修するので抽選になったら裏口当選させてくださいと懇願したね。

姑獲鳥の夏」を読んでからというもの私の脳内には常に「呪い」という単語が踊っていたので、この民俗学の講義を受けられるのは僥倖だった。当然、呪いについて知識を深めようとしか考えていなかった私はこの時すでに狂っていたのかもしれない。

そして迎えた3年目。晴れて私はS教授の民俗学の履修に成功する。

シラバスをよく確認していなかったのだけど、受講人数は100名の完全講義形式。大教室で一時間たっぷり教授が話し続ける。

学生の間では「民俗学は最初の受講者カードを記入提出してしまえば、寝ていても期末にレポート提出で単位はもらえる」「D大学最強のらくらく単位取得講座」などと呼ばれ、受講する学生の半分は単位4つを欲しいが為だけにこれを受講していたようで半数以上の学生は寝ていた。

さて、S教授は御年64歳。なかなかの高齢だ。

講義初日、開口一番「僕も老い先短そうですし、外国語学部じゃ興味のある学生さんは一握りでしょうから、まぁ、皆さんは一時間僕のお話を聞いて下されば結構です」などと宣い、有言実行。その日は本当に一時間「民俗学ってなぁに?」を話し続けていた。私は広い大講義室の最前列に一人で座り、さっさと呪いについて教えれのオーラを出していたが、その日は呪いの「の」の字もなかった。

初日に配られた資料だと、講義は4月は「アニミズム」5月「山岳宗教と土着宗教」6月「遠野物語の成り立ちとその特異性」7月「前期まとめ(だったと思う。忘れた)」と書いてあったけど、この教授、自分が作った工程表通りに講義を進めてくれない。

アニミズムについて語りだして、卑弥呼が出てくると卑弥呼の話に、卑弥呼の話から大和の話に、大和の話から日本書紀の話に…と話が飛びすぎて気が付くと時間が過ぎていたりする。お話は全て面白いけど、メモとか一切取れなかった。どうやら上に提出するために止む無くカリキュラムを作っていただけのようで、好きな話を好きなだけ聞かせたら満足という感じだ。挙句の果てに、たまに窓の外を見つめてため息交じりににたいねぇ…」とか言い出す始末。この人もアタマおかしい。これはM教授に騙されたか…?

 

ところが、この教授は「呪い」にだけは本気で取り組むということを後に知ることになる。

 

5月に入って一応、山岳宗教のお話に入ろうかという頃、S教授は突然「形代」を懐から取り出した。形代というのは、よく陰陽師式神を召喚するのに依り代とする紙製の人形だ(図1参照)。

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(図1)形代

「これ、何だかわかりますか?わかる人、挙手」…この人が講義内で挙手を求めるのは珍しい。最前列で手を挙げるわたし

「一人だけですか…さびしいですね」

後ろを振り向いても誰も手を挙げていない。

「じゃあ、リナさん。お答えください」(M教授が紹介したおかげか私だけ名前と顔を憶えてもらえていた)

『かたしろ…ですよね』

「そう、形代ですね。これは人間を模したものなので人形代(ひとかたしろ)とも呼びます。ではついでに。何に使うかはご存知ですか?」

『…人を呪うときに使いますよね…釘で刺したり…』

「ああ、いきなりそこから言っちゃいましたね。陰陽師でも出てくるかと思ったんですけど、丑の刻参りから来ましたか(笑)それでは、この形代。いつのころから呪いに使われていたか分かりますか?」

質問攻めにあう私。

『(この人、私を試しているんだろうか…)』

確か、奈良時代ごろから丑の刻参りが始まったとどこかで読んだ記憶がある。記憶自体が曖昧だけど。

奈良時代…ですか』

「うん、外れ」

何…だと…?

「形代を使った呪いはね、古墳時代からあったとされています。卑弥呼の時代、アニミズムの象徴としても形代は存在していたんですね。確かに、奈良時代に木製の形代に釘を打ち込んだものが出土しているみたいですけど、日本書紀には古墳時代に形代を使った呪いがあったと書いてあります」

本当にこの人、呪い大好きなのだろう。呪いの起源を知りたくて日本書紀読んだのか。

 

さて、丑の刻参りを知らない人はいないと思うけれど、ざっとおさらいを。良く知っている人や、よくやっている人は飛ばしてしまおう。

***

【丑の刻参り(うしのこくまいり】

古くは「丑の時参り」とも。丑の刻(午前1時~3時)に、呪いたい相手に見立てた形代を神社の御神木に釘で打ち付けるという、日本古来からの呪術の一つ。

古いだけあって、その形態も方法も地方や時代によって様々に変化する。形代も藁人形であったり紙の形代であったり、木の形代であったりと様々。

現代で一番有名なのは呪いたい相手の髪の毛や爪、皮などを藁人形の中に入れて五寸釘を打ち付けるという方法だけど、これはかなり新しい方法

妖怪画図の元祖・鳥山石燕の本なんかには丑の刻参りをする女性の絵が詳細に描かれていて(図2参照)、こんなの江戸時代に居たのか、思わせるおどろおどろしさがある。

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(図2 丑の刻参り 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』)

なお、ご神木で有名なのは京都の貴船神社(図3参照)だけれど、ものもとここは呪いのメッカではなくて、「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻」に参詣すると願いが成就するという伝承が長い歴史の中で変化していったものらしい。可哀そうな貴船神社。縁結びの神様で有名なのに…。因みに、実際に貴船神社をみるとその荘厳さに圧倒されて、「来てよかった」と思うだろうから是非行ってほしい。

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(図3-1 貴船神社

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(図3-2 貴船神社参道)

 なお、石燕によれば、丑の刻参りをすることにより怨霊・悪霊の類を召喚し使役することで相手に不幸が訪れるとのこと。呪術の世界ではこの「召喚して使役する」呪術を総称して「厭魅法(えんみほう)」という。

日本に古来より伝わる呪術のもう一つ「蟲毒」と人気を二分する。

蟲毒については…コメントなどで要望あればそのうち書く。

では続きをどうぞ。

***

「というわけで、ここから僕の得意分野。呪いについてです」

呪いキタ――(゚∀゚)――‼

ここから怒涛の呪詛講義が始まる。人が変わったかのように呪いについて熱く語るS教授は、はたから見たらまごうことなきキチガイだった。

アニミズムにおける祈りと呪いについて。

修験者による密教の呪術。

陰陽師安倍晴明)の台頭により呪術が政治を動かすようになった話。

武家社会が成立し陰陽寮が廃止されたのち呪術は民間に浸透していった話。

呪いと祝いは、言葉は違えど本質は同じということなどなど。

濃密すぎて他の学生はドン引いていた。対照的に、必死にメモを取る私。

今思えば何が私をそこまで駆り立てたのか分からないけど、あの大講義室で必死にメモを取っていたのは私一人だと思う。

そのひと月は本当に濃ゆくて、リナの小さな胸は悦びに打ち震えていた。その時もう既に私の脳内ではS教授は師匠と呼ばれていたね。そんな師匠の超濃密度の呪い講義はほぼ1か月(4回)に渡り繰り広げられた。古墳時代から現代にいたるまでの呪術の様々を修めたリナはどこからどう見ても気持ち悪い女子だった。呪い談義の最後の日、師匠はリナに向けてこう告げる。

「呪いとは、プラシーボのようなものです。自分が呪われていると思っていれば、怪我をしても、具合が悪くなっても、不幸が起きても、悪いことが起きればすべて呪いのせいだと思います。つまり、意図的に呪いを成就させようと思えば、相手に呪われていることを伝えるのが良いでしょう。これが現代に生きる私たちのできる呪術です。ですが、自分が呪っているということは伝えてはいけませんよ。呪詛返し(呪いが術者に返ってくること)を食らいますからね」

この教授とんでもないことを学生に教えている。だが…。

そういえば、と「姑獲鳥の夏」の作中で京極堂呪いとはに仕掛ける時限式の爆弾という台詞を吐いていたのを強烈に思い出した。つまり、「呪ってやる‼」ではなく、「あなた、呪われているよ…」が正しい呪い方というわけか。特別な技法など必要なく、ただただ言葉で相手の心に時限式の爆弾を仕掛ける。

相手は疑心暗鬼になり、いずれ訪れる不幸により呪われていることを自覚し、呪われるようなことをしでかした自分をさらに呪う負の連鎖だ。これ、威力抜群じゃなかろうか。ふふふ、我、天啓を得たり。のちの呪い少女リナ誕生の瞬間だった

まぁ、そう簡単に呪った相手に不幸が訪れることはないから、成就することも少ないんだけどね。むしろあたしが不幸だわ

 

【次回予告】

呪いを修めたリナ。師匠と仰ぐS教授から、夏休み中に必ずこなすようにと、とある特命を仰せつかる。ほかの学生には課題なんか出ていないのに、と困惑するリナ。にやける教授。巻き込まれるT君。与えられた課題は郷里千葉県を駆け回る呪い少女大冒険だった。そして気狂いした父親の生まれ育った土地で、リナは民俗学におけるフィールドワークの恐ろしさを知る。次回、サブタイトル「不幸を一身に背負った土着宗教」この次もサービスしちゃうわよ。