腹黒元副盟主のわななき

黒い砂漠デネブ鯖『アークエンジェル』、リネレボフリンテッサ鯖「xxxMZRxxx」血盟所属の腹黒い事務員カタリナのリネとは無関係の駄文集

【心が叫びたがっているんだ(ノーマルだと)】

 

【前回までのあらすじ】

リナの初恋、泡沫の夢と化す。ぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺ…。

 

腐っていたことで凄絶な失恋を経験した私は、その直後から腐った薄い本と距離を置き始めた。読まないわけではないし、買うには買う。萌えもするけれど、以前のような熱を帯びた感覚にはならなくなっていた。

時は夏。追い込みをかける受験勉強シーズン真っただ中ではあったけれど、小学5年生から通っていた英語教室での勉強の成果なのか、当時の私の英語力は超高校級だった。中2で実用英検2級まで取っていたのは僥倖で、その翌年に新設される某私立高校の英語科の推薦(試験は英語1教科のみ)を担任に確約されていた。全国高校入試模試の成績も英語だけ偏差値80超えていた(3教科平均すると絶望感が漂うけれど…orz)。

今思えばその後の人生を何一つ考えていないバカ愚かな選択ではあったけれども、辛い受験勉強から逃れることができると私は確信していた(事実、1月中頃に行われた推薦入試もすんなりと合格し、同じく推薦で決めていたT君の家で毎晩TEKKEN2とブシドーブレードマリオカート64にいそしんでいた。

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1月31日にFF7が発売されるまではずっとT君の家に入り浸りだったけど、両親からすれば玉の輿とでも思っていたのだろうか。残念。リナの恋は夏に終わっているのだ)。

そんなわけで、このころからサボり癖が付いていたリナは、同級生の大半が家に引きこもり勉学に勤しんでいる夏休みも好きなことだけをして過ごすこととなる。ところが、失恋の後遺症なのか、このころの私はどこか病んでいた

どうにも公衆の面前で

「ねー、高志~ぎゅぅぅぅー」 

「ぎゅぅ~?甘えんぼだなぁケメ子は~」

「えー、だって高志あったかい~」

「しょうがねーなー」 

「えへへー。あったかい」 

「ケメ子もあったかいよ」 
「高志」 
「ケメ子!」(ガバッ)

「ああ!」

などとイチャコラするアホカップルを見ると沸々と怒りが湧いてきて、今のわたしなら「リア充爆発しろ。オンキリキリバサラウンハッタ…」と呪詛を吐く程度で済むのだろうけれど、当時のリナはそんな手ぬるい感情では済まなかった。その場に散弾銃あったらヘッドショット決めてお昼のニュースになっていたね。とにかく荒んでいた。

自転車で16km離れた海水浴場にソロで行って、カップルがビーチに敷いていたシートの下に落とし穴掘って、カップルが遊び疲れて休憩しに戻ってきたらキレイに落とし穴にはまって「ああ!」ってなるところを木陰から観察してyes!」(グッ!)とかいう空しい遊びをしていたからね。

友達と実行するならまだしも、計画から実行までソロ。もうね、完全に痛い子。中3でこれはない。

このリナの姿を星野君が見たらさらに距離を置かれていたに違いない。まぁ、高木になった星野君ならむしろ近寄ってくるかもしれないけど。

そんなわけで荒んだリナはそのままオタクに磨きをかけつつ、女子力を下げながら半年過ごして4月より晴れて高校生活を始める。

ここに至るまで、FF7でヒロインが死ぬという悲劇を見て涙した以外は書くようなことは全くないってくらい怠惰でどうでもよい半年だった。7、11含めFFシリーズとカタリナについてはいずれ一筆したためる。

で、前置きが少し長くなったけど、ここからが今回の本題。

***

小中学と同じメンバー60人の顔を見て過ごしてきたせいか、高校入学後1か月は新鮮な気持ちでいられた。私が通っていた高校は千葉県の山の中にポツネンと建っている。電車とバスで通おうとすると、2時間近くかかるという、高校生には正直しんどい立地だった。というのも、千葉県内でも特に房総半島に住んでいる民なら誰もが想像できるのだけれど、JR内房線JR外房線という房総半島の外周を走る路線の使い勝手がアホほど悪い。暇な人は千葉県の房総半島を地図で眺めるとわかるけれど、JR千葉駅を起点として、房総半島の太平洋側を外房線が走り、東京湾側を内房線が走る。

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この二つの路線、蘇我駅千葉市中央区)で枝分かれした後、半島の東西に分かれて海岸線にほど近いところを走り、半島の先っちょ安房鴨川駅で再び接続する。私が住んでいたのは外房側のちょうど真ん中位。対して、母校は内房線の真ん中位なのだ。車で山道をひた走れば約1時間、ところが電車とバスを乗り継いで通学しようとすると2時間近くかかるアタマおかしい。ところが、そんな立地の悪い場所だけど、進学校を標榜していた母校は、保護者からすれば進学校に我が子が通うということがステータスなのかは知らないが、県内外から結構な人数が騙されているとも知らずに登校していた。

また、保護者のことを思ってか、はたまた単純にその交通の便の悪さからなのか、我が母校は無料スクールバス20台を運行し生徒の登校を支援していた。特に山越えをしないと通えないようなリナの居住地域には台数も多く裂かれていて、朝になると駅前では、スクールバスという名の護送車に詰め込まれた百数十名の死んだ魚の目をした生徒が山奥に強制連行される様を見ることができた。

バス内では何故かスピードラーニングのような英語の放送が流され、死んだ目をした学生たちは、まだ学校につく前から進学準備という題目を盾に強制で勉強させられることになっていた。

この制度を考え出した当時の教務主任はほんとアタマおかしい。しかもゆとり教育がまだ始まるギリギリ前の世代。わが校は37時間授業の日があり、残りの6時間目までの日は、希望者のみではあるが「特別ゼミナール」なる普段の授業とは別に、より受験に則った問題集を教師陣が講義するという奇天烈な時間まで設けられていた。90年代の私学進学校などはこんなものだったのかもしれない。

 

さて、リナはというと先に述べた通り、英語のみで勝ち上がってきた。今年から新設された英語科のいわゆる第1期生だ。今ではそれほど珍しくはないのかもしれないけれど、完全少人数制のコースだった。なんせ14人しか合格していない(英語科は滑り止め不可の第1志望のみ受験可)。アメリカナイズされた授業をガリガリこなす斬新な授業風景であったのは間違いない。普通科と一緒の教室で授業を受けるのは一部の必須科目のみで、ほかは選択だった。完全に文系特化。数学なんて数Ⅰしか受けていないからね。数Aは国立志望する猛者だけ。リナなんて最初から私大志望だから数学なんて捨てていた。微分とか積分とか意味わかんない。マクローリン展開とか言われても理解に苦しむし、自然対数って何?って感じだ。

そんな、3年間英語漬けの監獄生活が約束された我が母校、英語コースの他に、芸術コースなる特別科があった。こちらも少人数で学年に20名ほど在籍していた。音楽コース(楽器演奏・作曲・声楽)と美術コース(絵画・デザイン・彫刻)に分かれていたけどここの女子率が9。私の学年なんて男子はピアノ弾きのメガネ君と絵描きのオタク君が居るだけだった。しかも私の入学年度は芸術科の女子の美人さん率が異様に高く、いわゆるブスっ娘は一人もいなかった。このメガネとオタクのメンズは3年間ハーレムで過ごすことが確約されているとか、学年中、いやさ学校中の非モテ男子の羨望の的だったのだ。

そんな一芸に秀でた人種を寄せ集めて少数で構成されている英語コースと芸術コースは世界史や日本史、生物、家庭科、保健体育など必須外科目がすべて同じ教室にまとめられていたため、必然的に交流が多くなった。3年間この三十数名と学園生活を共にすることになる。もとい、この美人さんたちを眺めつつ脳内でキャッキャウフフしながら3年間過ごすのは楽しみだった。

 

そんな美人揃いの芸術コース女子のひとりと急接近する出来事が入学二日目にして起こる。中学時代のリナは緑化部(帰宅部だと内申書に響くため学校が用意した文化部。3年間で活動履歴無し)だったけど、高校ともなれば色々な部活があるに違いない、と勘違いした私は部活紹介パンフレットを見て驚愕する。

文化部=茶道部吹奏楽部…以上

芸術コースを設置しているにも関わらず美術部すらない…。なんだ茶道部って。漫画にしか出てこないと思っていた(実際は結構本格的にお茶の作法を学べるので3年間在籍するとそれこそ「結構なお点前」になる)。

後から聞いた話では、芸術コースの生徒が美術部に入ると普通コースの子がやる気をなくして退部してしまう事件が続発したそうで、個人主義的な美術部は廃部になったとか。

そんな全く充実していない部活動のラインナップを見て、また帰宅部か…と放課後の時間つぶし(スクールバスの運行がホームルーム後の16:30と部活後の18:30の2便しかなかったためホームルーム後の便を逃すと18:30まで強制で校内に残ることになる)がないことにブルーになっていたが、学校というところは生徒全員に義務的に奉仕させる風習があった。それが委員会活動だった。

美化委員会(校内の清掃人)やら放送委員会(お昼と下校時の放送並びにイベント時の放送機器の取り扱い)やら保健委員会(イベント時に保健医の助手として活動。冬になるとアルコールスプレー配るマン)やら。

放送委員会にはちょっと興味あったけど、毎日活動するわけではなく日替わりで担当を決めるらしく、暇つぶしは週1回しかできなさそう。

当時、花とゆめコミックス「瞳・元気」という少女コミック(男性恐怖症の主人公が優秀すぎる生徒会メンバーとのふれ合いを通して男性恐怖症を克服していくお話。検索検索ぅ)を読んでいた私は生徒会に一瞬心惹かれたが、入学式で見かけた生徒会長が勉三さん(キテレツ大百科に少し似ていたので却下した。

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ほかに心ときめく委員会はないかしらと、入学時に配られたパンフをパラパラとめくっていると、文化祭の様子が数ページにわたって紹介されている。そのなかに異彩を放つ「校舎棟3F廊下 漫画・イラスト展 by新聞委員会」の文字。

新聞委員会は文化祭で毎年廊下を占拠して漫画イラスト展を催しているらしい。これは香ばしい

「新聞委員会は年間12回の校内新聞の発行を目標に活動しています。文化祭では毎年、漫画イラスト展を開催しています。1994年度全国高校新聞コンクール銀賞」

正直なところ、ガチガチの進学校の校内新聞など面白さ皆無、義務的に制作された新聞など読むに値しないと決めつけて大見出しを見た瞬間に鞄の中に放り込んでいたのだけれど。気になったので入学式後に配布された校内新聞を読んでみる。

4面刷りのうち、1・2面はどこにでもありそうな校内の催し物を取材した記事だったけれど、3面以降が香ばしい

「教師を斬る」…特徴を捉えすぎた教師のイラストと、斜め上からの視点で教師を徹頭徹尾こき下ろす記事。

「おたっきゐ教授の雑記」…受験勉強には一切関係ない、興味のない人には全く見向きもされないであろうサブカルチャー記事。

「世紀末のvoyage…タイトルだけ見ると世紀末覇者を連想させそうだけど、記者の一風変わった趣味を紹介するコラム記事。なぜかこの時は身近にある毒物(スズランや夾竹桃、ハトのフン)が紹介されていた。ほんと香ばしい、というかアタマおかしい。

なかなかカオスな記事が踊っている。というよりこれを書いた記者や編集者とお友達になりたい。しかも放課後に取材、記事を書いて、レイアウトを決めて…って、なかなか活動的な委員会なのではないだろうか。

これはもしかしたら放課後の暇つぶしにはもってこいかもしれない。私の拙いイラストも役に立つかもしれないし…と新聞委員会に決めたリナ。早速編集会議があるとのことなので、私は放課後に新聞委員会室(編集室)に足を運んだ。そこは6畳ほどの小さな部屋。かつては新聞部だったそうで、部室だったところをそのまま流用しているらしい。そこで私は同じく1年生の芸術(美術)コースのヨネさんと出会う。彼女は初対面からしぶっ飛んだ性格の娘だった。自己紹介時いきなり

「私、同人誌作っているんで、よかったら買ってください

「同人作家なのでイラストはガンガン描きます」

「文化祭のイラスト展は出品数の上限はありますか」

「新聞の1ページ枠くれれば漫画描きます

「彼氏募集中です」

彼女は腐女子ではなかったが、生粋のオタク少女。しかも芸術コースのご多分に漏れず、貧乳ではあったがかなりの美人さん貧乳ではあったが

1年生の他のメンツはいかにも進学校に通っています!という感じの出木杉揃いだったけれど、私とヨネさんは完全に進学校アウトロー的存在(英語・芸術コース)。浮きに浮いていた。だけど、この新聞委員会の委員長が途方もないオタクだったせいか、私たちは委員長に歓迎される。ちなみに彼女、一時は少年エースに漫画描いていたりしていた。現在はデザイン校の講師とも、細々と漫画家をしているともいわれている。全然会ってない…。

ともあれ入学二日目にして腐ってはいないもののオープン同人作家の芸術コースの美人さんとお近づきになれた。わたしも彼女にだけはナオミちゃんのサークルで同人活動をしていることを打ち明け、わたしたちはすぐに意気投合。コンビを組んで新聞製作に携わることになる。

新聞製作はレイアウト作成がキモだ。

見やすく、かつ読みやすい順番に記事をレイアウトされた新聞はマンガに通じるものがある。実際のところ、最初の記事そのものがつまらなくたって、読みやすいレイアウト構成になっていると流し読みで次の記事、そのまた次の記事と人間の目は文字を追ってしまう。

いかに文章が優れた記者の記事も、レイアウトが悪いと読んでもらえないのだ。そんなレイアウト作成班にわたしとヨネさんは回された。多分、漫画描きの我々のセンスに期待を寄せてのことなのだろう。

やってみるとこの新聞製作というやつは意外に面白くて、私とヨネさんは毎日のように委員会室に行くようになった。5月の連休前の時点で、わたしたちはお昼ご飯も委員会室に集まって食べるようになり、気が付くとドップリ新聞委員会依存症になっていた。朝スクールバスが学校に到着してからホームルームが始まるまでの30分間、昼休み、放課後…毎日毎日委員会室で顔を合わせる私たち。それ以外でも芸術コースとは授業が被ることが多い。一日の大半を私はヨネさんと過ごした。そんなその年の夏のある日、事件は起こる

 

放課後に委員会室に行くと、珍しいことにヨネさんしかいなかった。

どうやら委員長はじめ他の委員は夏の総体に向けての各部活動の取材に出かけたそうで、レイアウト班のわたしたちだけが委員会室に居たのだ。

はじめのうちはワープロに向かいお互い背中合わせで作業をしながら取り留めのない話で談笑していたが、30分ほど話すとそのうちヨネさんが無言になってきた。まさか寝たのか、と後ろを振り返るとヨネさんは無表情で私の瞳をじっ、と見つめていた。

 

『ん?』と、私が首を傾げた瞬間のことだった。

 

 

 

 

 

 

むちゅっ

 

 

 

『〇×△□!!!』

 

 

 

チューされました。唇に。

しかも、舌入れられました。

 

 

 

「わたしリナたん好き」

『ふぁっ?!』

 

 

いやいやいやいや、いくら彼女が斜め上を行く存在だったとしても、まさかファーストキスを同性に奪われるとは想定外の事案。

この娘もアタマおかしい国の住人か。

 

『いや、ちょっ、ええ?』

 

もう狼狽えることしかできないわたし。こんなことになるなら星野君が部屋に来た時にこっちから襲っておくべきだった。と思っても時すでに遅し。

どうやらヨネさんは気に入った人が相手なら体面を気にせずすぐキスしちゃう和田アキ子さんのような性格だった模様。

あとから聞いた話では美術コースの美人さん10名全員とキスまではしていたとのこと。まぁ、あの美人さんの輪の中に私も含めてくれたのは嬉しいんだけど、わたしノーマルですから

普通に男の子が好き(男の子同士も好きだけど)ですから。残念。(とかいいながら、ちょっと気持ちよかったのは否定しないけど)

そんな誰かれ構わずチュウしちゃう破天荒遊戯なヨネさん。彼氏がいるという話は聞いたことがなかったし、10人も斬られているので、百合の人かと思っていたのだけれど、どうやら彼氏は図書委員会にこっそり作っていたらしく、そっちはそっちでよろしくやっていたようだ。ただし、彼氏は「高校卒業までは致さないでござる」という不殺の誓いを立てていたようで、それがもととなり半年ほどで別れてしまうのだけれど。彼女はホントぶっ飛んだ人だった。

こういう型にはまらない、規格外のポテンシャルを秘めた人材が日本の様々な業界で活躍するんだろうな、と今は思っている。

 

ところで、ファーストキスの相手が同性で、しかもディープ。なかなかのトラウマ案件ですが、なんだかんだこのあとも卒業までの3年間、幾度となくヨネさんにキスされることになるのだけれど、それはまた別の話。

 

ちなみに、私のファーストキスはカルピスの味がしました

カラダにピース。